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ヒューストン〜サンフランシスコ Houston〜 San Francisco
 ヒューストン
ヒューストンはダイナミックな活力を持つ豊かで広大な近代都市である。現代的な高層ビル街、幅広い整然とした道路、巨額な資金を投じた施設を持つこのビッグな街は、カウーボーイや綿花、石油、国際港、エネルギー科学の中心地として常に繁栄を続けてきたが、スペース・シャトル計画によって現在再び宇宙都市として脚光を浴びている。
1836年、2人の不動産屋が共和党初代の大統領でテキサス独立運動の英雄サム・ヒューストンに因んで命名した。街は1859年から3度の火災で打撃を受けたが、1901年の油田開発によって見事に立ち直り、3年後にはテキサス州で最も富裕な街となり、その後も急速な経済成長を続け1980年の統計によるとアメリカ第5位の金持ちの市に発展した。ヒューストン港は、ニューヨーク、ニューオーリンズに次ぐアメリカ3位の国際港で、市の最大の収入源となっている。また、石油関連産業では、アメリカ最大の生産高と最新の技術を持っている。NASA宇宙センターの存在はスペースシャトル計画によって又新しい産業をこの街にもたらした。
世界の頭脳と最新技術を結集したテキサス・メディカルセンターや、幅広い文化活動などで常に世界の注目を集めるダイナミックな存在。非常に喫煙に厳しい街で、公共の場所はほとんど禁煙。違反すると高い罰金を取られるのでサインに注意が必要。
NASA宇宙センター(NASA Lyndon B.Johnson Space Center)
ヒューストンの南東40km。Clear Lake、宇宙計画の映画、宇宙船アポロやスペースシャトル関係の展示、月の石などが見られる。飛行訓練室とミッション・コントロール・センターも公開されている。 

構内はよく手入れの行き届いた公園のように実にキレイだった。
夕食に招待していただいたMr.English夫妻と母親、そして彼の友人夫妻。彼は公認会計士、奥さんは地元商業銀行の役員。彼は日本を訪れたことがあり、その際東京、京都を観光した由。母親はなかなかチャーミングな人でよくしゃべった。不十分な英語で些かもどかしかったが、楽しい3時間だった。10時前にホテルまで車で送ってくれた。
サンフランシスコ
世界一美しい都のひとつといわれるアメリカ西海岸のサンフランシスコ。1848年、カリフォルニアはメキシコ領からアメリカ領に。近郊での金の発見に沸いたサンフランシスコは、海路、金採掘にやってくる人々の基地となり、人口わずか数百人の田舎町から、数年で2万人以上の"都会"になった。そして1869年には、大陸横断鉄道の開通によって、東海岸と約7日間で結ばれることになる。街には人と冨があふれた。金や鉄道事業で巨万の富を得た富豪たちは、競ってノブ(金持ち)・ヒルに華やかな装飾、出窓、切り妻屋根のヴィクトリア朝様式の豪邸を建てた。
1906年の未曾有の大地震で大打撃を受けながらも、1915年、サンフランシスコはパナマ太平洋万博を開催。若き建築家バーナード・メイベックは、「サンフランシスコには、ローマのイメージがふさわしい」とパレス・オブ・ファイン・アーツを建設、その復興ぶりを全世界に示した。カリフォルニァで最も知的な街と称される、美しい"坂の街"が潮風の中で旅人を優しく招く。
ゴールデン・ゲート・ブリッジ
全長約3km、海面から橋げたまで67mの優美な吊り橋は、4年の歳月を費やして1937年に完成。
中央右に浮かぶ小さな島はアルカトラズ島。かって軍の要塞だったが、1934年から30年間、凶悪犯罪専用の刑務所として使用され"悪魔の島"と恐れられた。あのマフィアのボス、アル・カポネも収容されていた。
かって漁師や魚屋が集まった港。現在はシーフード・レストランや屋台が並ぶ。ゴールデン・ゲート・ブリッジも望めるロケーションにあり、かになどの魚介類が美味しい。
ユニオン・スクエア
観光の拠点となるダウンタウンの中心広場
ケーブルの終点
フィッシャーマンズ・ワーフの近くの終点。ここでUターンして再び坂を登る。
ケーブルから見た坂の街
ケーブルはすべて各駅停車。従ってどこでも自由に降車OK。
フィッシャーマンズ・ワーフ