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ヴェネツィアのバロック様式建築の最高傑作。1630年のペストの流行がおさまったとき、神への感謝の印として1631年から建設されたもの。海の税関と連なった、大きい丸屋根のシルエットは、大運河の入り口のシンボルとなっている。大運河を渡ってきてまず目にするのは、どっしりとした4本の円柱に支えられた正面玄関の上の福音者の彫像である。中にはティツィアーノの絵や、ベッリーニの「サン・マルコの聖人たち」、ティントレットの有名な「カナの結婚」が見られる。
サンタ・マリア・テラ・サルーテ教会
ヴェネツィア
アドリア海の花嫁、沈み行く水の都と世界中の人々に慕われるヴェネツィアは確かに直接目で見るとその特異性に驚かされる。どうやってこの町を築いたのだろう・・・と思わずにいられない。118の大小の島々が180の運河と400余りの橋によって迷路のように結び合わされている。
青い空と蒼い海の間で漂う町ヴェネツィア。名物のゴンドラに揺られながら、運河をのんびりと下る風景は、この町ならではのもの。ひときはエキゾチックな情緒が味わえる町である。
サン・マルコ広場周辺
ヴェネツィアの中でも、最も華麗で、最も堂々とした美しい広場。交通、政治の中心であり、ヴェネツィア観光の起点でもある。無数のハトが舞う広場の周辺には、世界で一番古いロココ調のカフェ、ガラス工芸、レース、貴金属の店が軒を連ね、賑やかな中にも上品な雰囲気がある。
ヴェネツィア共和国の紋章となったライオン。正面入り口の上にある
サン・マルコ寺院全景
サン・マルコ寺院はまさにヴェネツィアの過去の栄光のシンボルである。この寺院は、そもそも828年にエジプトのアレキサンドリアから盗んできた聖マルコの亡骸を奉るために、建設されたものだ。このとき以来、ヴェネツィアの守護聖人は聖マルコになり、付き添うライオンがヴェネツィア共和国の紋章となった。寺院は11世紀から17世紀にかけて様様に手を加えられてきた。東洋的な独特の丸屋根は13世紀につくられた。この改築によって東洋と西洋の様式がミックスし、それらの調和が、寺院に独特の美しさを付与することになった。
世界中からの観光客で賑やかな広場
ドゥカーレ宮殿
サン・マルコ広場の南東端。ヴェネツィア共和国のドージェのための宮殿で、裁判所も置かれていた。9世紀に建てられたが、現在あるのは15世紀のもの。ヴェネツィアのゴチック建設の最高峰であり、ずらりと並ぶ柱列が美しい。内部にはヴェネツィア派の巨匠による絵画が多数展示してあり、特にティントレットの「天国」が有名。一方、そんな華やかさとは対照的なのが地下の牢獄。裁判が終わった囚人は、この建物と牢獄を結ぶ「溜め息の橋」を渡っていった。
豪華な内部の装飾
溜め息の橋
この建物→

例のカサノヴァがこの牢獄から脱走した話は有名
ドゥカーレ宮殿前の通りは大変な人出
運河と教会
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
サン・マルコから見たマッジョーレ教会
ヴネツィアの中でも規模の大きい教会で、1566年にパラディーオの指揮によって建設が始まった。ファサードはその後17世紀初頭にシモーネ・ソレッラによって完成された。サン・マルコのものによく似ている鐘楼は18世紀に付け加えられたもの。聖具室ではティントレットの傑作「最後の晩餐」と「マナの収集」が見られる。
エレベータで鐘楼のテラスに登ると、75mの高さから運河とサン・マルコ広場、さらにヴェネツィアの全体像が一望できる。
サンタ・マリア・テラ・サルーテ教会を望む大運河の夕景
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ゴンドラ(Gondola)はヴェネツィアのシンボル的存在だが、今では観光用のみに使われているようだ。セーラ服に帽子という従来の姿から、普段着の人まで漕ぎ手もさまざま。私達の舟にギターの伴奏とカンツォーネの歌い手が乗ってくれ、お決まりの「サンタ・ルチア」など派手に歌ってくれ、些か恥ずかしい気分だった。
カンツォーネの歌い手とギターの演奏者。昔と異なり全くの普段着姿。でも、さすがに声は素晴らしかった。
アドリア海からヴェネツィアを、あたかも守るように長く横たわるリド島は、住宅地として、また海水浴のリゾート地としても有名である。
また、8月最後の週から2週間にわたるヴェネツィア映画祭も有名な催しもの。世界中から名だたる俳優や監督、ジャーナリストが集まり、華やかなリドの様子が世界に向け報じられる。
映画といえば、私達が宿泊したホテル「デ・バン」は、耽美派のヴィスコンティ監督の「ヴェニスに死す」が撮影された名門ホテルでした。それだけに、ホテルマンの態度が大きく、プライドだけ高くてサービスは大味なものだった。
名門ホテル「デ・バン」、ホテルの前はアドリア海で白砂が広がる絶好の海水浴場
リド島(LIDO)