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現在の姿は1803年以降に発掘されたもので、一部復元された建物を除いて、ほとんどの部分が廃墟のままとして残されている。
たとえば、シーザーが「ブルータス、お前もか」と叫んで殺されたとされる、クーリアと呼ばれる元老院の建物も当時のまま残されている。
ローマ最古のフォロで、紀元前6世紀には排水溝などが整備され、都市として機能していたという(フォロとは「フォーラム」の語源となった言葉で、公共広場の意。神殿など政治・宗教の中心施設も含めたエリアを総称してフォロと呼んだ)。
シエナ〜ローマ
シエナ(SIENA)
トスカーナ地方の中心に位置する町シエナは城壁に囲まれた中世そのものの町。赤いレンガ造りの家が立ち並び、教会の塔が空を突くようにそびえている。12〜14世紀、中世イタリアで最も栄えた都市国家のひとつで、フィレンツェ派に対抗してシエナ派を形成したほど多くの芸術家を輩出した町である。
カンポ広場、右側はプブリコ宮殿とマンジャの塔↑
もともとは催事場に設計された広場。周囲の建物とも調和し、イタリアで「最も美しい広場」と言われている。
赤いレンガが敷き詰められた広場は白い縁どりによって9つに分けられている。そのひとつひとつが9人からなる誇り高い都市国家シエナ政府の構成を表している。プブリコ宮殿に対する広場の周辺の建物は、いずれも優雅でゆるやかな凹凸を持っていて、それが類まれな調和をこの広場にもたらしている。この広場では、毎年7月2日と8月16日に、中世さながらの騎馬競争が行われる。ひずめの音と歓声が広場にこだまするとき、シエナは完全に中世に戻る。
プブリコ宮殿はカンポ広場の中心となる13〜14世紀のゴチック様式の建物。建物の右側は市庁舎として使われており、多くのフレスコ画が見られる。また、残り部分は博物館として公開されている。プブリコ宮殿に付属しているマンジャの塔は高さ88m。塔の上からの風景はシエナのもうひとつのハイライトである。はるかに連なるトスカーナ丘陵の中でシエナがひとつの奇跡を実現していることがわかる。
ドゥオモ
サン・クリストロファ教会
ドゥオモはカンポ広場から歩いて10分。ファサードはロマネスク、ゴチックの両様式が見事に調和し、シエナ様式の傑作とされている。内部は黒と白の大理石を交互に積み重ねた縞模様が基調となり、個性的なものとなっている。
ローマ(ROMA)
ヴァティカン市国
2500年前の古代遺跡、ルネッサンスやバロック期の巨匠たちによる建物や美術品、サン・ピエトロ大聖堂を始めとする300もの寺院、"永遠の都"ローマは、まさに歴史と芸術の宝庫である。
サン・ピエトロ広場と大聖堂
ローマ市内にありながら、"世界一小さい国"ヴァティカン。世界に約8億人の信者をもつカトリック教の総本山としてあまりにも有名だが、「ローマの美術遺産のほとんどはここにある」と言われるほどの多数の美術的・芸術的遺産も擁している。

<サン・ピエトロ広場>
イタリア・バロックの巨匠ベルニーニの設計により、1667年完成。「世界一美しい広場」として有名。広場は284本のドリア式円柱が並ぶ回廊で囲まれ、中央には37年に古代エジプトから運ばれたというオベリスクが立つ。
<サン・ピエトロ大聖堂>
世界最大の規模と豪華さを誇るカトリック教会の主聖堂。開山は349年。コンスタンティヌス帝が聖ピエトロ(暴君ネロによって虐殺された)の墓の上に聖堂を着工させたのが始まりとされる。その後、教会の分裂などを経てすっかり荒れてしまったが、1506年以降、120年もの歳月をかけて大改造が施された。この改造に参加したのはブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロ、フォンタナ、マデルなどイタリア芸術の巨匠たちであり、聖堂内は彼らの傑作で埋め尽くされている。
大聖堂の内部
衛兵
衛兵のコスチュームはミケランジェロのデザインといわれている。
ピエタ像
若々しく美しいマリアが死せるキリストを膝に抱く、ミケランジェロが最初のローマ滞在中に制作した若き日(25才)の傑作。
1499年に完成。この作品によってミケランジェロは、天才として世の注目を集めた。
特にこの彫刻で印象的なのは、柔らかなマリアの表情。聖母の優しさとぬくもりが感じられる。1972年に像の一部が破壊されるという事件があり、現在は防弾ガラスによって守られている(その関係で写真が上手く撮れなかった)。台座の位置が高く、キリストの顔が見えないのは残念。
サンタジェロ城
サンタジェロ城はヴァティカン市国の東約800m、テヴェレ川の西岸にある円形の城。ハドリアヌス帝が自分の廟として建てたもので、139年に完成。以来、歴代の皇帝がこの廟に祀られてきた。中世には墓の上に城砦が建てられ、法王の有事の際の避難所、また牢獄など、さまざまな用途としても使われてきた。強固な要塞の外観からは思いもよらない「天使=ANGELO」の名は、6世紀にペストが大流行したとき城の前に天使ミカエルが現れ、手にした剣で悪疫を追い払ったという伝説に由来する。現在、城は博物館として公開されている。オペラ「トスカ」の舞台としても有名。
ナヴォーナ広場周辺
ムーア人の噴水
ナヴォーナ広場
ナヴォーナ広場は古代ローマ時代の競技場跡にできた南北に細長い形の広場。スペイン広場とともにローマを代表する広場。ムーア人の噴水、四大河の噴水、ネプチューンの噴水の3つの噴水があり、広場には爽やかな水音が響く。
カフェの椅子に座ってゆっくりとくつろぐ人など、観光客ばかりでなく、地元の人々も多く集まってくる。広場には似顔絵描きやみやげ物の露店が出て、その賑わいは深夜まで続く。ここで食べたジェラートは美味しかった。
ヴェネツィア広場
ヴェネツィア広場は「ローマのへそ」といわれる市中心部にあり、主要道路が集まるロータリーになっている。広場の中央には大きな花壇、広場正面にはヴィットリアーノ、あるいはヴィットリオ・エマヌエレ2世記念堂(ウエディング・ケーキの愛称で親しまれている)と呼ばれる巨大な白亜の建造物がそびえ、ローマの中心にふさわしい景観を見せている。このヴィットリオ・エマヌエレ2世はイタリア統一の英雄で、白い大理石の建物は1885年から25年がかりで完成したもの。
フォロ・ロマーノ
ローマで最も美しいティトゥス帝の凱旋門
復元された元老院
コロッセオ
古代ローマ兵士の姿
フォロ・ロマーノのすぐ東。紀元80年に完成した円形劇場で、"永遠の都"ローマの象徴的存在である。直径188m、周囲527m、高さ57mの4階建て。当時は5万人以上の収容人数を誇り、猛獣と剣闘士、または剣闘士同士の壮絶な戦いがローマ市民の見物に供されていた。現在、競技場の中央に見えるのはアレーナの地階部分、猛獣の檻などに使われていた場所である。
スペイン広場周辺
いつも観光客や地元の若者でにぎわっているローマ屈指の名所だ。階段数137段。18世紀に作られたもので、「スペイン広場」という名は、当時広場に面してスペイン大使館があったことに由来している。
コンドッティ通りから涼しげな船形の噴水とともに見上げる光景、そして階段の頂上から見下ろす光景が忘れ難い印象を与えてくれる。階段の両側には季節ごとにアゼリアなどの花が飾られ、季節感もいっぱいだ。
「後ろ向きになって泉にコインを投げ入れると再びローマに帰ってくることができる」というロマンティックな伝説をもつ、ローマ最大の噴水。ポーリ侯の宮殿と呼ばれる背景の建物を借景として素晴らしい効果を演出している。
壁面中央の勝利のアーチを背にして立つ海神がトリトーネに操られた天馬を駆っていく姿は迫力いっぱい。夜には美しくライトアッブされる。
スペイン階段
トレヴィの泉