百万石の台所「近江町市場」

重厚な漆器

金沢の伝統工芸

加賀友禅、九谷焼、金沢箔などに代表されるように、金沢では古くから「匠の美」が育まれてきた。これらの工芸技術の発展には、金沢の歴史を彩った加賀百万石の文化が深く関っている。初代藩主前田利家が加賀百万石の礎を築いた安土桃山時代、文化の中心にあったのが茶の湯だった。茶の湯が広く普及するにつれ、工芸活動も盛んになっていった。歴代藩主が茶の湯に深い関心を寄せて、著名な茶人たちを金沢に招いており、これら茶人たちの美意識が加賀の工芸に影響を与え、伝統工芸の町金沢の礎を築いていった。

箔座本店「黄金の茶室」純金箔4万枚使用

金沢は日本の箔生産のシェアー98%を占めている。金箔は宗教王国であった金沢の寺院建築や仏壇などに使用されてきた。1万分の1ミリの薄さに延ばす技術はそれだけで芸術と言える。また、箔打ちに必要な打ち紙は使い古されると、ふるや紙と称され化粧落としに使用され現在の油取り紙の前身にあたる。

漆工芸の伝統は、京都から技術を導入することから始まった。前田家は蒔絵の名門五十嵐家の名工道甫を京都から招いている。さらに江戸からも名工を招き漆工芸の確立に努めている。こうして、京都から続く伝統を踏まえながら加賀の国風を生かし格調高く華麗で繊細な雰囲気を持つ漆工芸が生まれ、金沢漆器として今日に受け継がれている。

金沢地方には、前田利家が入城する以前から梅染と言う無地の染物や、紺染、茜染などが盛んだった。これら御国染と呼ばれた技術に、17世紀以降京都から伝わった友禅染の技術が加わって加賀友禅が生まれた。多色を用いた華麗な模様が最大の特徴で、モチーフは伝統的に花鳥や山水が多く、京友禅に比べると写実的・絵画的であると言われている。その染色工程も多岐にわたり、ひとつの芸術品とも言える美しさを持っている。加賀友禅は直接、藩の保護を受けることはなく、町方の工房で発展した技術であり、まさしく金沢の町が生んだ工芸であると言える。その値段が気になるが、過日TVで中日の落合監督が優勝記念として奥さんに購入する場面が出た。着物だけで500万円、それに付属の小物類を入れると1,000万円とのこと。それだけの値打ちのあるものらしい。年金生活の私には全く無縁の世界。でも、見るだけの価値はあると思う。

豪華な友禅着物

九谷焼もまた藩の直接の保護を受けることなく発展した工芸だ。九谷焼の系譜は、17世紀に山中温泉の奥、九谷の地で盛んに焼かれたとされる豪放華麗な意匠の古九谷にさかのぼる。古九谷の生産は一度途絶えるが、やがて江戸時代後期に卯辰山で春日山窯が開かれたことから、能美・小松・加賀方面一帯に色絵磁器の生産が伝わり、さまざまな窯が開かれるようになった。再興九谷と呼ばれるようになったこの磁器生産が今の九谷焼の源となっている。

五色生菓子

冬の味覚「甘エビ」

九谷焼

金沢の食文化

金沢の味の基本は、材料の豊かさ。町の周辺には、山・丘陵・平野・川・潟・砂丘・日本海などが広がっており、立体的な自然環境がつくりあげられている。こうした豊かな自然が豊かな食材を生み、海の幸、山の幸、川の幸と四季折々さまざまな食材に恵まれた町として、独自の食文化を育んできた。春は新芽、夏は清流の川魚、秋は山菜、冬は日本海の魚・・・。豊富な旬の素材を使い、料理人の工夫によって一段と味を深めたものが「加賀料理」だ。代表的なものは「かぶら寿し」「じぶ煮」「鯛の唐蒸し」「はす蒸し」「ゴリ料理」などがある。もともとは地元で取れた旬の食材を美味しく食べるために工夫された庶民的な郷土料理なのだ。たとえば「かぶら寿し」は寒冷地・金沢の保存食の一つで、お正月には各家庭の食卓に並んでいる。これらの市民の生活に根付いた郷土料理を、専用の漆器とか九谷焼などの豪華な器に盛り付ける演出を加えて、加賀百万石のもてなしが生きる「加賀料理」が誕生した。

城下町金沢は、京都に肩を並べる全国屈指の和菓子処としても有名。茶文化の発展とともに多くの銘菓が生まれた。金沢では婚礼の際に「五色生菓子」という日月山海里を表現した五色の御餅を重箱に詰めて、親類の家へ送る風習がある。これは珠姫が徳川家より三代前田利常のもとにお興しいれしたときに、御用菓子処に作らせたのが始まりとされている。


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