金沢駅、もてなしドーム鼓門

金沢文芸館

金沢市民芸術村

町民文化館

巨大なガラスドーム

意匠を凝らした歓迎

蓄音機館

主計町茶屋街

武蔵ケ辻、尾張町、金沢駅周辺

近江町市場 藩政時代に始まって以来280余年もの間、金沢の食文化を支え続けてきた市民の台所、近江町市場には魚、エビなど生きのいい海産物をはじめ、青果、干物から日用品、衣料品まで様々な店が約170店も並び、道の両側から威勢のよい掛け声が飛び交う。昼、夕方の買い物時になれば、主婦はもちろん、会社帰りに立ち寄った人や観光客で大変な混雑となる。市場内にある食堂は生きの良い魚介類が売りで、昼食時は長い行列ができる。短気な私などは待ちきれずに、何度も食いはぐれた。とにかく美味しいものを食するとなると、何よりも忍耐力が肝心だ。

寺島蔵人邸

中級武士らしい落ち着いた庭

近江町市場

尾張町は金沢でも一番早くから開けた町である。町名からも分かるように尾張出身の前田利家が1583年(天正11)七尾から金沢に入り築いた町だ。その勢か小粒ながらいろいろと面白い施設が多い。
蓄音機館 蓄音機540台、SP盤2万枚の収蔵はほとんどが現役。1日3回(11時、14時、16時)エジソン発明の蝋管式蓄音機からマニア垂涎の名器を実演するほか、月に数回のテーマ別SP鑑賞会、リクエストに応える鑑賞会もしばしば開催されている。

町民文化館 明治時代の趣を今に伝える町民文化館は、県文化財に指定されているアンティークな雰囲気の建物で、館内では当時の町民の生活用具や調度品、若手作家による工芸作品などが常設展示されている。
金沢文芸館 橋場交差点にある旧石川銀行橋場支店が、2005年(平成17)「金沢文芸館」として生まれ変わった。その建物は1927年(昭和2年)の建築で、国登録有形文化財にも指定されている。再生された建物には交流サロン(1階)や、金沢・五木寛之文庫(2階)、文芸フロアーと泉鏡花文学賞コーナ(3階)が設けられ、五木文庫には小説の生原稿や愛用品などが展示されている。浅野川近くで金沢ゆかりの文学を味わい、愛好家のサロンとなる文芸館は、界隈の新たな魅力となって賑わいを生み出している。別項で記しているが、すぐ近くに泉鏡花の生家跡に立つ「泉鏡花記念館」もある。これらの他に尾張町老舗交流館菓子文化会館などがあり、「一品ミニ美術館」として尾張町の老舗が、昔ながらの店構えで店頭にディスプレーしている。古都独特の不思議な懐かしさが漂い情緒あふれる町並みを展開している。店頭を覗きながらのぶらぶら歩きが実に楽しい。


寺島蔵人邸跡 加賀藩の中級武士だった寺島蔵人の屋敷跡で、金沢市指定文化財。邸宅には、画家としても知られる蔵人の書画を始め伝来の名品の数々が展示されてる。庭園は蔵人が造らせたという、三重九輪の塔を中心に広がる池泉回遊式庭園。樹齢300年以上のドウダンツツジや秋の紅葉が素晴らしい。

主計町茶屋街 浅野川大橋のたもとにあるこの界隈には、昔ながらの料亭や茶屋が並び夕暮れ時になると三味線の音が聞こえてくる。一時、尾張町2丁目の一部だったが、1999年(平成11)10月1日に全国で始めて旧町名が復活し正式に主計町となった。歴史が甦った町だ。

様変わりの「金沢駅」

金沢駅は大きく変貌した。2005年(平成17)3月この巨大なもてなしドームや鼓胴をイメージした門が完成した。この三代目となる金沢駅は2014年(平成26)北陸新幹線の開通を待つ、未来を象徴する玄関である。金沢駅の歴史をひも解くと、初代金沢駅は北陸線の開通に伴い1898年(明治31)

「金沢停車場」として開業している。日清戦争後の軍備拡張によって、金沢には北陸の軍事拠点として陸軍第九司令部が置かれた。北陸線の金沢までの開通は、ロシアとの戦争に備えたものであり、駅舎そのものも軍隊の集合地を確保するために設計されたという。師団設置に伴い、旧金沢城内には第九師団や第六旅団指令も置かれた。郊外にも連隊が設けられ、練兵場や病院などもつくられ、城下町は「軍都」として再編されていった。二代目金沢駅が登場したのは1954年(昭和29)。私が始めて駅頭に立ったのはこの駅だった。

それから8年、当時大阪本社から赴任し、初めて金沢駅に降りたとき、実に寂しい乗降客の少ない駅だとの印象が残っている。比べるべくもないが列車で初めて金沢を訪れた五木寛之が降り立ったのは1953年(昭和28)、初代の駅で今よりもずっと寂しく、いかにも北陸の小駅という佇まいが記憶に残っている、と記している。
1965年(昭和40)の構想から40年、紆余曲折を経た北陸新幹線富山ー金沢間は、2005年(平成17)6月4日の起工式でフル規格レールをつなぐ槌音を響かせた。

金沢市民芸術村 金沢駅周辺と言うには少し離れているが、線路沿いに南下した犀川近くの一角に、レンガ造りの倉庫が建ち並ぶ。ここは、一年中、二十四時間眠ることのない、表現者たちの天国である。春夏秋冬、昼夜を通して、演劇や音楽、美術などに携わる市民が表現活動を繰り広げている。戦前に建てられた民間の紡績工場(大和紡)が「金沢市民芸術村」として生まれ変わったのは、1996年(平成8)のこと。3年前に閉鎖された工場跡地を金沢市が買い取り、もとの倉庫を生かしながら、芸術創作活動の場として新しく造り変えた。「21世紀は行政を土台に市民の自己責任で芸術文化を発展させる時代」との認識に立ち、あくまでも主役は市民。各分野に配置された市民ディレクターとボランティアが中心となって自主的に運営している。上演や展覧会の際の裏方の役目も市民が引き受けている。

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