芸子達が踊りや太鼓、笛,琴、三味線
を披露する「控えの間」

ひがし茶屋街、多くの観光客が訪れる

客 間

にし茶屋街

懐華楼夜景

東山、卯辰山、寺町、小立野周辺

ひがし茶屋街 卯辰山の麓にあるひがし茶屋街は1820年(文政3)から続く伝統的な町並みで、ふとタイムスリップしたような気分になる。美しく敷き詰められた石畳や格子戸が続き、ところどころに残る風景が悲しみとともに、懐かしさを醸し出している。幻想的な通りには、時を経た風情を愛し守る人々の心意気が、凛として、そしてゆったりと息づいている。かつて大商人の旦那衆が粋を極めた花街は、清廉でいて艶めかしい。現在は、おしゃれな甘味処や和雑貨店が並ぶが、畏敬と愛情を込めて「おひがし」と呼ばれていた頃の風情は健在。時折聞こえる三味線や小唄の練習声も情緒タップリといったところ。
懐華楼 この茶屋街にたたずむ創業180年の老舗茶屋「懐華楼」は金沢市の指定保存建物になっている。朱塗りの壁の大座敷や、金箔織りの畳が敷かれた茶室、茶屋街を望む朱塗りの縁側などに雅な茶屋文化が香る。

艶めかしい朱塗階段

ひがし茶屋街

懐華楼(旧越濱)の説明 解説パンフレットより抜粋

沿革 ひがし茶屋街は、1820年(文政3)加賀藩の政策として整備された。「文政3年庚申初冬御会所御渡之図」「浅野川茶屋町創立之図」によると「志ま屋」となっている。1831年(天保2)に茶屋街が一度廃止されるが、1867年(慶応3)再び茶屋街として公認された。その後、1906年(明治39)に出た「金沢郭の栞」に「越濱」の名があり、昭和初期まで続いたと言われている。
建物の特徴 間口6間、奥行き12間の大きさは、この界隈で最も大きく、土蔵や茶室・茶室用の入り口を持つこの建物は格式が高かったものと思われる。
外観 表通りに面する外観の特徴として、一階の出格子と二階の高い建物の外観が特徴的である。
1階出格子 一階の出格子は越前石の腰石の上に化粧土台を廻し、玄関戸まで揃えた格子が入る。欄間には虫食い板を竹で挟み装飾としている。茶室入り口にはヘギ板葺きの庇があり、特別の入り口をしめしている。出格子屋根は銅板一文字葺きとなっている。
2階雨戸 雨戸は中央より少し高い位置に硝子が嵌め込まれ、間口いっぱいの11枚建てとなっている。戸袋は縦板張りりとなっている。雨戸を開けると、縁の手摺(キムスコ格子)がある。
玄関 出格子と格子を合わせた玄関戸が入り、中に大戸がある。
吹き抜け 内玄関の格子戸の中は吹き抜けになる。屋根に天窓があり、この光を取り込んでいる。階段は朱漆溜塗りである。壁は漆喰塗りとなり天窓の明かりを有効に反射させている。玄関土間は三和土タタキ上げとなっている。
1階の間取り 通りに面して「みせの間」がある。板張りりの部屋で格子越に通りが見られ、現在は囲炉裏になりサロンとなっている。横にある6帖の和室は茶室土間縁と坪庭がつき、茶室の畳は金箔織りになっている。「みせの間」奥には、「茶の間」仏壇のあった「奥の間」と続く。これらの部屋は、主の生活の場所である。商売に使用する2階の天井を高く取っているため1階の天井は低くなっている。階段下には、「板の間」が「台所」とつながっている。「板の間」の下には「室」と呼ばれる地下室があり、保存場所として利用していたものと思われる。「台所」奥には浴室・便所があり、裏通りになる。「奥の間」は縁側を挟んで中庭に面する。中庭は屋根の雪落としの場所も兼ねている。縁側にも拭き漆塗りの階段がある。中庭の奥に土蔵がある。土蔵の造りはかなり古く建設時期は建物と同じではないかと思われる。この建物には入り口が4カ所あり、客同士が顔を合わさないようにしたものと思われる。
2階の間取り 通りに面して10帖、6帖、6帖の3間続きの部屋がある。通り側に拭き漆塗りの板張りの縁側がある。10帖の部屋には2間の床の間があり、下の6帖には置き床がある。この部屋には長押が付いていないが柱には取り付けの後が残る。一度茶屋制度が廃止された時に長押をはずした名残と聞く。壁の色は群青で塗られている。4.5帖2間続きの次の間を挟んで、12.5畳と7.5畳の広間になる。この部分は2.5間の床の間の造りや、照明器具はその当時のものである。中庭に面する縁側はウグイス張りの床である。壁の色は朱で塗られ柱等の造作材は拭き漆塗り仕上げとなっている。中庭を囲むように縁側が続き、4.5帖と6帖2間続きがある。この部屋の天井はヘギ板張りである。
屋根 切妻の平入り屋根である。建設当初は石置きの板葺き屋根であったと思われるが、後に瓦葺きになっている。

天徳院

にし茶屋街 金沢の情緒が色濃く感じられる3つの茶屋街の一つ、にし茶屋街では、今でも料亭が軒を並べて趣きある一角を作り上げている。夕刻近くに通りを行けば、出格子が美しい茶屋様式の2階建ての家並みからは三味線の音色が流れ、芸の町・金沢の夜を粋に演出している。茶屋街中ほどの「華の宿」では茶屋様式の建物を無料で見学できる。


天徳院 徳川家康の孫娘で前田利常の正室・珠姫の菩提寺。24才でこの世を去った珠姫の生涯を描いたカラクリ人形劇「珠姫・天徳院物語」が毎日上演されている。天徳院と言う寺名は姫の法名に由来している。

寺町から野田山にかけては多くの有名なお寺が多い。かつての一向一揆の勢力を警戒した藩では一向宗寺院を城のお膝元に置き、それを囲むように他宗の寺院を配した。その結果寺町界隈には約70のお寺がある。寺院内部の至るところに凝らされた数々のカラクリがある忍者寺の異名を持つ「妙立寺」などがある。一方、東の卯辰山山麓には約50の寺院群があり、それぞれの古刹には金沢ゆかりの人々の墓が置かれ静かに時の流れを刻んでいる。
今回の滞在では、小立野、寺町、野田山方面は足が伸ばせなかった。来年度以降の楽しみに取っておきたい。

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