旅(海外)のアルバムへ スペインの旅トップへ 次のページへ
グラナダ〜コルドバ〜コンスエグラ Granada〜Cordoba〜Consuegra
グラナダ
グラナダは約800年間近くイベリア半島を支配していたイスラム教徒が、最後の拠点としたところ。15世紀に、コルドバがフェルトム3世の手に落ちてから、イスラム教徒はグラナダに避難した。グラナダ王国のシンボル、アルハンブラ宮殿は、14世紀の建築。イタリアでルネサンス運動が盛んだった時期に、ここではイスラム文化が花開いていたことになる。スペイン国内で盛り上がったレコンキスタ(国土回復運動)により、キリスト教徒は1492年1月2日、ついにここを陥落させた。イサベルとフェルナンドのカトリック両王はグラナダに入城し、ボアブディル王は無血開城に同意した。
ホテルから見たグラナダ市内、中央は大寺院
アルハンブラ宮殿の全景、反対側のアルバイシン地区より見た風景。
Post card
宮殿よりアルバイシン地区の展望 →
世界中からの観光客で混雑する入り口
「ライオンの中庭」のシンボル、12頭のライオン像に支えられた噴水。→
「大使の間]の前にある「アラヤネスの中庭」。今回の写真の中でもベストに近いもの。
アルバイシン地区の「フラメンコ」
アルハンブラ宮殿とダロ川の北側の丘にあるこの地区は、昔のアラブの町そのままの面影を残している。ここはグラナダで最も古い地区である。1227年キリスト教徒軍によってバエサを追われたアラブ人たちが移住してきた。
夕食後、フラメンコ見物にきた。洞窟を居酒屋風レストランに仕立てた「タブラオ」である。ここのフラメンコは本来の原始的なもので、マドリッドなどの観光用とは、一味違うもの。
コルドバ
アンダルシァ北部のの町、コルドバにたたずむ8世紀建造のイスラム寺院、メスキータ。幻想的に連なるアーチの下で、かっては25,000人ものイスラム教徒が、いっせいに厳かな祈りを捧げていたという。イベリア半島におけるイスラムの最盛期、後ウマイヤ朝時代のコルドバは、人口50万を擁する巨大都市であった。
しかし、1236年にコルドバはキリスト教徒に奪回され、メスキータも次第に姿を変えていく。それによるもっとも大きな"傷痕"といえるのが、建物中央に突如として現れるキリスト教の大聖堂である。16世紀にこの礼拝堂をつくるために、当初1,012本あった寺院内の柱のうち150本以上が取り払われてしまった。のちに初めてここコルドバのメスキータを訪れ、その威容を目にした当時のスペイン国王カルロス1世は、カトリック教徒でもあったにかかわらず、「世界にたったひとつしかないものを壊してしまった」と、この破壊行為を嘆き悲しんだという。キリスト教徒からもその美を讃えられ、たび重なる改造を惜しまれたメスキータに、イスラムの古都コルドバの栄華が凝縮されている。
メスキータの全景、右側はローマ橋。ローマ時代を経て8世紀のアラブ王国時代には、ヨーロッパ最大の都市として栄えた。
美しい寺院内の柱。こっそり撮影していたが、係員に見つかり注意されてしまった。
これはPost card
どこから見ても美しいアルミナールの塔
ユダヤ人街の「花の小道」、壁、窓すべてが花で飾られている。
メスキータのすぐ横ではこんな風景が見られる。 →
コンスエグラ
セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」の舞台として知られるラ・マンチャ地方は、緩やかな起伏が続き、白い風車と古城、オリーブ畑がアクセントをつける。ラ・マンチャとは、アラビア語で"乾いた土地"のこと。
ドン・キホーテの像
プエルトラピセ村の旅籠、セルバンテスが泊まった。