コンスエグラの風車群
スペインの旅
1991.9.30〜10.9(平成3年)
成田⇒ロンドン経由⇒バルセロナ(2泊)⇒モンセラット⇒バルセロナ⇒マラガ⇒グラナダ(泊)⇒コルドバ(泊)⇒マドリッド(2泊)⇒トレド(泊)⇒マドリッド⇒成田
「光と影」−スペインを端的に表す言葉ですが、この国ほど強烈な太陽と深い影、闊達と憂鬱、野性のカルメンと憂い顔のドン・キホーテなど、相対するものが密着する国は珍しい。それだけに、一見つかみどころのない国との印象を受けます。
この国では、8世紀から15世紀にかけてのほぼ800年間、全土でイスラム教徒とそれを放逐しようとするキリスト教徒の激しい闘いが繰り広げられました。レコンキスタ(国土回復運動)と呼ばれる戦争です。この時生じた二つの文化の混合が、「ヨーロッパの妖しき異端」と言われるエキゾチックな風土をつくりあげました。
実は現在の首都マドリッドも、もともとは9世紀、当時の首都トレドを護るためにイスラム教徒の手で築かれた砦でした。
砦の名をアラビア語で「マヘリット(湧き水)」と呼んだ。そしてスペインの黄金期を築いた王、フェリペ2世がこの地に都を移し、砦を王宮としました。首都マドリッドの始まりであります。
1492年にイスラム教徒を放逐した後、スペインはヨーロッパの二つの王家の支配を受けます。オーストリア・ハプスブルク家(16,17世紀)と、フランス・ブルボン家(18世紀)です。現在のマドリッドが、マヨール広場を中心とした旧市街、つまり「ハプスブルグ家のマドリッド」と、シベーレス広場を中心とした高級街区「ブルボン家のマドリッド」を核として展開するのは、その名残であります。
人口は約3,900万人。そのうち約8%にあたる300万人がマドリッド市内に住む。アラブ諸国からの流入により、先住民イベリア人との混血が進みました。約98%がローマ・カトリックを信仰します。文化・芸術の面では、16世紀のフェリペ2世以降、歴代の国王が芸術を擁護し多くの作品を収集しました。主としてプラド美術館に収蔵されています。また、近代美術の巨匠ピカソ、ダリなどの作品はソフィア王妃芸術センターに所蔵されており、その他にも多くの美術館や博物館があります。
現在も建築が続く「聖家族教会」

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