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プラド美術館
マドリッド Madrid
イベリア半島の中央部、メセタと呼ばれる標高500m以上の高地にスペインの首都マドリッドは位置する。ヨーロッパの首都の中で最も標高が高い。21の行政区に分けられており、市の北部には政庁舎などが並ぶ新市街、南部には王宮や博物館、そして観光で賑う旧市街がある。モダンな高層ビル群、緑豊かな公園の新市街と、石畳の小路に歴史的な遺産を残す旧市街がマッチした国際的な観光都市でもある。
王宮と広場
1738年から1764年にかけて、ムーア人の築いたアルカーサル(城塞)跡に建設された壮麗な宮殿。ルネサンスと擬古典様式が混じりあった140m四方のどっしりした外観をもっている。
王宮前に位置するオリエンテ広場にはスペイン王の彫像が並んでいるが、なかでもひときわ目立つのはベラスケスの絵をもとにピエトロ・タッカが製作したフェリペ4世の騎馬像。
豪華な宮殿内部、ダイニング・ルーム
王宮の室数は2,800以上にものぼるといわれ、室内は豪華な装飾や彫刻が施されている。みどころは、まずタペストリー。15世紀頃のものまで、その数はおよそ2,500を越え、大部分はフランドル(現在のオランダ)とスペインで織られたもの。最も美しいといわれるものは、バン・ダイクの「マリアの物語」をテーマにしたものや、バン・デル・ワイデンの「情熱」をモチーフに織ったものなど。すべてのタペストリーを並べると7qを越えるというから、とても全部は見て回れない。
スペイン広場
スペイン広場には、中央にサンチョ・パンサを従えたドン・キホーテの騎馬像が立ち、後ろからセルバンテスの石像がこの2人を見下ろしている。背景のモダンなエスパーニャ・ビルと好対照をなし、観光客の記念写真撮影の名所になっている。
シベーレス広場、建物は中央郵便局
ライオンが引く戦車に乗った女神の姿が目を引き、豪華な噴水が建つシベーレス広場。マドリッドで最も美しいと言われるこの広場から続くプラド通りは18世紀、王侯貴族のお気に入りの散歩道だった。
アルカラ門
18世紀に築かれたアルカラ門。ここを中心に広がる独立広場は1814年ナポレオンからの独立を記念して名づけられた。 →
フラメンコのショーを見せるタブラオでは迫力あるステージが楽しめる。
フラメンコショー
質の高さでは世界一ともいわれるプラド美術館は、1819年フェルナンド7世の意向で、スペイン歴代の王が集めた絵画の収蔵美術館として生まれた。後には王室、修道院のほとんどの収蔵品がここへ集められた。その数はほぼ3万点。そのうち海外からの略奪品はただの一点もない。新古典様式の建物は18世紀、カルロス3世が都市再開発を思い立った時、建築家ファン・デ・ビジャヌエバの手で自然科学博物館として設計され、ナポレオン軍侵略の際には、兵士の宿舎にされたこともある。
スペインが誇るゴヤ、ベラスケス、ムリーリョ、エル・グレコやフランドルの外交官でもあったルーベンス、わざわざその「快楽の園」だけを見に来る人もいるというボッス、或いは、フェリペ2世がパトロンだったヴェネツィア派のティツィアーノなど、目もくらむ名画が居並ぶ。ゴーティエならずとも、館内で過す時間は、まさに至福の時となる。
マドリッドて1ケ所だけ行くとすれば、ここをおいて無い。
プラド美術館正面
ピカソの「ゲルニカ」。現在は、「ソフィア王妃芸術センターで展示されている。
ゴヤの名作「着衣のマハ」と「裸のマハ」。同時に観賞出来るのは珍しい。世界各地の美術館に貸し出されるケースが多いからだ。
スペインでは、一般庶民の伊達男をマホ、伊達女をマハと呼んだ。彼らの洒落た服装と粋で自由奔放な生き方は、上流階級でも一つの流行になった。モデルについては、ゴヤの作品に何度か登場し、当時その美貌で名高かったアルバ侯爵夫人とする説と、作品の注文主であった宰相ゴドイの愛人ペピータとする説にわかれている。「着衣のマハ」は「裸のマハ」のカムフラージュであったとの説もある。即ち当時、厳格なカトリック国であったスペインでは、女性の裸体画などご法度であった。そのため、注文主のゴドイは「裸体のマハ」の上に「着衣のマハ」を掛けていた、というわけである。
ゴドイの失脚後、フェルナンド7世の絶対主義王制下で、ゴヤはこの2点の「淫らな作品」を理由に宗教裁判にかけられ、作品は1901年まで王立サン・フェルナンド美術アカデミーの一室に押し込められたままになっていた。
ゴヤの名作「着衣のマハ」と「裸のマハ」。自分が写真を撮ろうとした時は大勢の観光客で撮れなかった。この写真は美術全集のもの。
ベラスケス「ラス・メニーナス」
ゴヤ「カルロス4世の家族」
1800年、この新世紀の船出の年、首席宮廷画家への昇進を記念して描いた王家の集団肖像画で、ゴヤ様式の成熟を証す傑作である。しかもゴヤの絵筆は、包み隠さず、王家構成員の実相を率直に捉えていて注目される。中央に王妃マリア・ルイサが王女と王子を伴なって立ち、その隣りで主役の座を降りたかのような国王カルロス4世。左から2人目の青年が皇太子フェルナンドで、対仏独立戦争後、即位して恐怖の専制政治を復活させる男である。その奥で作者ゴヤは、彼らを無視するように深い闇に身を潜めている。13名の王族達は豪華に正装して勢揃いし、その華麗さをゴヤは見事な運筆で描き上げた。だが同時に、嘘をつけないその透視力はおよそ王族に似つかわしくない彼らの素顔や内面までを図らずも暴き出してしまったのである。
1656年スペイン・バロック時代の巨匠ベラスケスの記念碑的作品である。画中の部屋は、王宮内に実際にあった「皇太子の間」である。中央に王女マルガリータと女官、後ろの鏡の中に国王夫妻が描かれている。ベラスケスは自らの姿を王家の家族とともに描き込むことによって、王室と絵画の栄光を画面に焼き付けた。その虚構と現実をはらんだ空間は謎めいており、美術史上これほど多くを語られた作品はない。バルセロナのピカソ美術館には、この作品をもとにして描いたピカソのバリエーションがある。