金沢
日本の旅、アルバム
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それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手を掛け合ったまま、遥か彼方の、縁だけ茜色を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。やうやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何者かが生まれて来つつあるかのように・・・。
風立ちぬ、いざ生きめやも。(堀辰雄、「風立ちぬ」より)
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。重なり合った原生林や深い渓谷の秋に見惚れながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。  (川端康成、「伊豆の踊り子」より)
この犀川の上流は、大日山という白山の峯つづきで、水は四季ともに澄み透って、瀬にはことに美しい音があるといわれていた。私は手桶を澄んだ瀬につき込んで、いつも、朝の一番水を汲むのであった。上流の山山の峯の後ろに、どっしりと聳えている飛騨の連峰を靄の中に眺めながら、新しい手桶の水を幾度となく汲み換えたりした。汲んでしまってからも、新しい見事な水がどんどん流れているのを見ると、いま汲んだ分より最っと鮮やかな綺麗な水が流れているように思って、私は神経質にいくたびも汲みかえたりした。(室生犀星、「性に目覚める頃」より)
2003.3直腸ガンの手術以降、海外旅行は控えており、もっぱら景勝地での滞在型旅行を楽しんでおります。定年後入会したリゾートクラブが各地にコンドミニアム形式の施設を展開しており、最低1週間の連続利用が出来るので、毎年5月と11月に利用しております。年齢とともに、時間に振り回される団体旅行は苦痛で、1ケ所に滞在し気ままに周辺の観光が出来るこの滞在型旅行が大変気に入っております。しかも、施設が既存ホテルのスイトルームで指定されており、80u前後の広さと台所付きですから、ホテル内のレストラン味に飽きた時は自分で好みの料理が作れます。
また、部屋の広さから5人〜6人の宿泊が可能で、滞在中子供達、友人・知人を招き賑やかに過すことも楽しみの一つです。このページは、この滞在型旅行に限定して作成しております。従って今後毎年訪問を繰り返すことになりますから、その都度新しいニュースを追記する予定です。完成の無いアルバムです。
伊豆
箱根
蓼科
軽井沢

足たたば 箱根の七湯 七夜寝て
   水海(みずうみ)の月に 舟うけましを

   ※水海=芦ノ湖              正岡 子規
                                         1898年(明治31)作
      

信濃には 八十の高山 ありと言へど
          女の神山の 蓼科我れは

    ※女の神山=蓼科山の別名          伊藤 左千夫
1909年(明治42)作