classic salon  NO.3

  別 館
  作曲家年表
                 classic  salon (本館)  
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クラシック サロン

     H27('15)8.4
 
    私のLPジャケット
    チャイコフスキー
 ヴァイオリン協奏曲ニ長調
チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35
            Vn.ヤッシャ・ハイフェッツ 
            フリッツ・ライナ指揮 シカゴ交響楽団
あまりにも有名な曲で、この試聴会でも既に2回聴いており、その都度コメントしているから今回は記載せず。
26.6.12 試聴済み Vn.前橋汀子 エッシェンバッハ指揮
チューリッヒ・トーハレ・オーケストラ
27.6.2 試聴済み Vn.チョン・キョン・ファ ブレヴィン指揮 ロンドン交響楽団
私のLP・・Vn.オイストラウ ロジェストヴェンスキー指揮 モスクワ・フィル
   LP・・Vn.フランチェスカッティ シッパーズ指揮 ニューヨーク・フィル

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64
            Vn.ヤッシャ・ハイフェッツ
            シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 
ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーそれにこのメンデルスゾーンの協奏曲を四大ヴァイオリン協奏曲といっている。なかでもメンデルスゾーンのこの曲は、旋律の美しさと形式の分かりやすさで最も親しまれている作品だ。クラシック音楽の入門曲の筆頭にあげられるものだ。私自身も早い段階でLPを求めている。ベートーヴェンの作品を皇帝とするならば、優美で繊細なメンデルスゾーンのこの曲をさしずめ女王として評価している人もいるようだ。第2次大戦中ユダヤ人を排斥したヒトラーは、メンデルスゾーンがユダヤ系であったという理由でこの曲の演奏を禁止した。だがドイツの心ある音楽家たちはメンデルスゾーンの名を伏せ、単に「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」として演奏している。曲は全体を通じメンデルスゾーン特有の華麗で甘美な旋律に溢れている。とりわけ冒頭すぐに奏でられる独奏ヴァイオリンの調べは印象的である。
私のLP・・Vn.ジノ・フランチェスカッティ ジョージ・セル指揮 コロンビア交響楽団
   LP・・Vn.サッシコ・カヴァリロフ ジョセフォ・ヴィッツ指揮 
ハンブルグ放送管弦楽団

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ長調 作品23
           Pf.エミール・ギレリス 
           ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィル
第1楽章の印象的な出足が非常に有名だ。今でこそピアノ協奏曲の傑作と言われるこの曲も作曲から初演までの道のりは順風満帆ではなかったらしい。彼にとって初めての協奏曲が完成したのは1875年、親友の名ピアニスト、ニコライ・ルビンシティンの前で披露した。ところが、「無価値で全く演奏不能」、「構成自体が体裁悪く下品だ」などの残酷な批評。書き直しの忠告を無視して、指揮者兼ピアニストのビューローにこの曲を贈った。彼はアメリカ・ボストンで初演し大成功を収めることとなった。この曲は全曲の半分以上を第1楽章が占め、冒頭の魅力的なメロディーも導入部分のみで二度と再現されない。俗に頭でっかちの曲と言われている。第1楽章の雄大な作風に対し第2楽章は田園的な素朴さとゆとりを感じさせる。第3楽章は凶暴なまでの活気で野趣に満ちたロシア舞曲を連想させる。最後は交響曲と間違うような盛り上がりで最高潮に達する。
私のLP・・Pf.ネルソン・フレーア ケンプ指揮 ミュンヘン・フィル
   Lp・・Pf.ソンドラ・ビアンカ バンベルガー指揮 コンセール・ド・パリ管弦楽団
  
    H27('15)8.6

      私のCD
     シューベルト
交響曲第9番「ザ・グレート」

 
シューマン 交響曲第3番変ホ長調 作品97「ライン」
       「マンフレッド」序曲変ホ短調 作品115
       ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ指揮
       ベルリン交響楽団
交響曲第3番「ライン」
シューマンは1850年(40歳)ライン河畔のデュッセルドルフへ指揮者として着任した。ライン地方の伸び伸びした田園風景に魅せられ創作意欲を掻き立てられ、着任後僅か4ケ月でこの曲を完成したと言われている。全体に牧歌的な気分に溢れシューマンの交響曲の中では特にロマンチックな情感に満ちている。第4楽章の壮麗な響きはケルンの大聖堂で執り行われた大司教の枢機卿昇進の式典を見たシューマンがその感動を表現したものだ。
26.6.26試聴済み 秋山和慶指揮 桐朋学園斉藤記念メモリアル・オーケストラ
私のCD・・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィル


「マンフレッド」序曲
初めて聴いた。私にとっては馴染の無い曲だった。一般のコンサートなどでも余り演奏されてないのではないか。駆け出しのクラシックファンだからかも知れないが。私の持っているクラシック関係の書物にも記載されていないため、netのWikipediaで見ると次のように記載あり、参考として記しておきたい。
「マンフレッド」は独唱・合唱とオーケストラのための劇音楽。バイロンの詩劇「マンフレッド」の上演のため書き下ろしたもので、序曲と15の場面の音楽からなる、由。実際に聴いていてオーボエの悲痛な旋律で次第に盛り上がりやがてトランペットが加わる。弦楽器の流れるような旋律とリズムが心地よく、第1幕への期待が高まる。是非、全編を通じて聴いてみたい曲だった。しかし、残念ながら今後あまり聴く機会の無い音楽だろうと思う。

シューベルト 交響曲第7番(9番)ハ長調 D.944「ザ・グレート」
          カール・ベーム指揮 ベルリン・フィル
シューマンが尊敬するシューベルトの眠るウィーンの墓地を訪れたのは、シューベルトの死後10年、1838年のことであった。その帰り道シューマンはシューベルトの兄フェルディナンドの家に立ち寄った。その時、たまたまフェルディナンドが取り出したのがシューベルトが死の年に書いたと考えられる未発表のこの曲の草稿だった。シューマンはそれを直ちに親友メンデルスゾーンに送り、翌年彼の手によって初演されたのである。何回聴いても第2楽章の憧れに満ちた美しい旋律は素晴らしい。50分を超す大曲だ。作品番号だが、作品の出版元の目録では第7番目の交響曲で、一般的には第7番交響曲とされている。ただし、一部では制作順序から見て第9番交響曲と呼ばれておりややこしい。
26.10.9試聴済み ベーム指揮 ベルリン・フィル
27.1.20試聴済み テンシュテット指揮 ベルリン・フィル

私のCD・・カラヤン指揮 ベルリン・フィル  
    H27('15)8.11
 
    私のLPジャケット
   ラヴェル「名演奏集」
「亡き王女のためのパヴァーヌ」ほか
ラヴェル ボレロ 亡き王女のためのパヴァーヌ スペイン狂詩曲
      バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
      シャルル・ミンシュ指揮 パリ管弦楽団
ボレロ
ラヴェル=ボレロと反射的に口に出るほど有名。1928年53歳の時の作曲。ラヴェルはこの曲をほんの手慰みのつもりで書いたと言うが、それが彼の作品の中で最も人気の高いものとなったのは皮肉な話だ。全体が一つのクレッシェンド(次第に強くの意)でできており、リズムもテンポも変えずに18回繰り返し最後の二小節で転調して終わる、という大変ユニークな作品だ。曲は単純素朴だが、盛り上がる曲調は情熱的だ。“オーケストラの魔術師”といわれたラヴェルの面目躍如というところか・・・。

亡き王女のためのパヴァーヌ(逝ける王女のための~との訳もある)
1899年ラヴェルがパリ音楽院に在学中に書いたもので、その後1910年原曲のピアノ曲を管弦楽用に編曲したもの。原曲のピアノ曲は発表以来好評となり、盛んに演奏されたがラヴェルはかえってそれを嫌い、不満足な作品としていた。そのため管弦楽用に直したものと言われている。スペインの画家ヴェラスケスが描いた若き女王の肖像にヒントを得て作曲したとも言われているが、昔スペインを訪れた時プラド美術館でこの王女「マルガリータ」の肖像画を見たが、実に愛くるしい容姿だった。懐かしい思い出とともに聴く音楽もまんざらでもない。ついでに、パヴァーヌは孔雀の威張って歩くように似た舞曲から名付けられたもので、単調ではあるが典雅な趣に満ちている。

スペイン狂詩曲
スペインに近いバスク地方出身の母を持っただけあってか、ラヴェルのスペイン趣味が濃厚に表れた曲だ。ギターとカスタネットの響き、ハバネラの2拍子はいつ聴いても心地よい。

バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
合唱入りの大作で、近代フランスの生んだ最高のバレエ音楽の一つに数えられる傑作である。古代ギリシャが舞台で、羊飼いのダフニスと可憐な乙女クロエとの恋物語。ラヴェルはこのバレエの中から、後に演奏会用の二つの組曲を編んだが、そのうち第3幕の音楽をもととした第2組曲の方が演奏される機会が多い。
私のLP・・ラヴェル名演奏集 亡き女王のためのパヴァーヌほか Pf.フランソワ
   CD・・ボレロ、スペイン狂詩曲 マゼール指揮 フランス国立管弦楽団


ラヴェル   バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
ドビュッシー 交響詩「海」  牧神の午後への前奏曲
         カラヤン指揮 ベルリン・フィル
バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
前述のミンシュ指揮、パリ管弦楽団の項に同じ。本日同時に異なる盤を試聴させて貰ったが、指揮者カラヤンとミンシュの違いは、私には分からない。でも、若干のテンポの違いは感じられた。カラヤンのハギレ良さみたいなものは少し理解できた感じ。

交響詩「海」
ドビュッシーは海をこよなく愛した人だった。外にも海を主題にしたものがいくつかある。この曲は、海を絵画的に描写したものではなく、あくまでもさまざまに変化する海の様相を印象的に描いたものなのだ。当時彼は妻ロザリーを捨て裕福な人妻エンマと駆け落ちし、世間の厳しい非難を受けていた。発表当時は賛否両論だったが、今日では彼の代表作として高い評価を受けている。第2楽章「海の戯れ」が、寄せては返す波、楽しげに戯れるが如く変幻し優雅に揺れる様が感じられ印象深い。

牧神の午後への前奏曲
音楽の印象派を樹立したと言われているドビュッシーは、私たちが知っているベートーヴェンやブラームスなどとは大いに異なる音楽なのだ。オーケストラの響きも明確な線の流れが感じられず、音響の色合いが移ろって行くのは分かるが全体の輪郭がボケていて掴みどころが無い。古典派やロマン派の音楽とは明らかに違う。また、彼は日本の風物を好み版画に憧れそれらによる作曲も数々残している。
この曲はドビュッシーが尊敬していた詩人ステファヌ・マラルメの象徴詩から作られたもので1894年30歳の時の作品。牧神とは、ギリシャ神話の神、パンのこと。上半身は人の形だが脚は山羊のようである半獣神だ。牧人と家畜を司り昼寝が好きでそれを邪魔された時の怒りは人々を恐怖に陥れたという。因みに「パニック(panic)」と言う言葉はこの神様から来ている。神様なのに好色で美しい妖精ニンフをつかまえて薔薇の茂みに連れ込もうとするが、あっさり逃げられてしまい、彼女たちと戯れる妄想にふける、という場面が描かれている。曲想に乗せられ、聴いている私自身も夢うつつのの状態で不思議な、でも心地よい曲だった。

私のLP・・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
    H27('15)8.18

       私のCD
       ワグナー
   楽劇「パルジファル」
ドビュッシー 交響詩「海」
         交響詩「牧神の午後への前奏曲」
         バレエ音楽「海」
         ピエール・ブーレズ指揮 
         ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
「海」、「牧神の午後への前奏曲」
1週間前にカラヤンとベルリン・フィルの盤を聴いた。本日のブーレズ指揮との違いは、私には分からない。ただ、寄せては打ち返す波に身を委ねて気持ちよく寛ぐような浮遊感はドビュッー独特のものだ。
27.8.11 試聴済み カラヤン指揮 ベルリン・フィル
私のLP・・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

ワグナー管弦楽曲集
      オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団
      “ラインの黄金”から「ヴァルハラ城への神々の入場
      “ワルキューレ”から「ワルキューレの騎行」
      “ジークフリート”から「森のささやき」
      “神々の黄昏”から「ジークフリートのラインの旅
物語は中世の叙事詩「ニーベルングの指環」や、北欧神話などを素材とし、これを持つと世界を統括する力が与えられる、という黄金の指環を巡って天上の神々と地上の巨人族、地下の小人族が争う壮大なものである。ワグナーが生涯をかけて追及したのが音楽と文学と造形芸術を一つに融合する総合芸術である“楽劇”で、その理想はこの超大作によってほぼ達成されたのである。彼はこの超大作を実に26年がかりで完成させたばかりでなく、その上演のための祝祭場をバイロイトにつくり上げた1876年8月「ニーベリングの指環」の上演でこけら落としが行われた時、既に63歳になっていた。超大作だけあってこの4部作の上演時間は15時間を要するオペラ史上最大規模の作品。初演では1部ずつ4日間かけて行われたらしい。とにかくスケールの大きさに呼応したものか、音の強弱も少なく、大音響が延々と続き些か疲れる。聴き終えて音響からの解放感に浸った。
私のLP・・ジークフリート ショルティ指揮 ウィーン・フィル
   CD・・ワルキューレ ショルティ指揮 ウィーン・フィル
 

       “タンホイザー”から第3幕への前奏曲
       “パルジファル”から第1幕への前奏曲
タンホイザー  前回記載済みにつき今回は略
26.11.18 試聴済み フルトヴェングラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団
私のCD・・ベーム指揮 ウィーン・フィル

パルジファル
ワグナー最後の傑作。晩年の理想を象徴的に表現したもので、宗教的要素に富み荘厳さに溢れている。亡くなる前年1882年に完成した。宗教的色彩の強いオペラで1913年まではバイロイト以外での上演は許されていなかった、とか。宗教的表現に基づく憐れみと愛が讃えられワグナー芸術の集大成となっている。
私のCD・・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
   CD・・ベーム指揮 ウィーン・フィル
    H27('15)8.20
 
    私のLPジャケット
     ベートーヴェン
  ピアノ協奏曲第2番、第3番
     (第4番保有せず、この盤を掲載)
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番ト長調 作品58
          交響曲第5番「運命」ハ短調 作品67
          Pf.クラウディオ・アラウ
          レナード・バーンスタイン指揮 バイエルン放送交響楽団
ピアノ協奏曲第4番
この曲が作曲された1807年(37歳)と言えば「交響曲第5番」や「第6番」、「ヴァイオリン協奏曲」などの作曲が進められていたころで、ベートーヴェンの最も脂ののっていた時期であった。それだけにこの曲は「ピアノ協奏曲第3番」には見られなかった新しい手法が、随所に取り入れられるなど、より一層充実した作品となっている。第1楽章がいきなり独奏ピアノのソロから始まるという大胆な試みが見事に成功している、という点にもベートーヴェンの才能が窺える。またこの曲は彼の5つのピアノ協奏曲の内でも最も抒情的かつ幻想的な性格を持っている。短い第2楽章は独奏ピアノと弦楽器だけで演奏されており、その辺りを良く表している。

交響曲第5番
これまでの試聴会で既に9回も聴きその都度記しているが、聴くたびに新たなる感動が呼び起こされる。それだけこの曲は独特のものがある大曲なのだ。ベートーヴェンは20歳の終わりころから音楽家としては致命的とも言える聴覚を侵された。然し彼はこの過酷な運命に対し激しい闘いを挑んで行く。1808年(38歳)に完成したこの曲は、強く生きようとした彼が心に刻んでいた「苦しみを通じての歓喜」をそのまま音楽にしたものと言ってよい。出だしから歓喜に満ちた最終章まで全編を通じて「暗黒から光明へ」のテーマが見事に貫かれ将に不滅の傑作になっている。
26.8.7  試聴済み マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団
26.8.11 
  〃    フルトヴェングラ指揮 ベルリン・フィル
26.9.4     〃
    小沢征爾指揮 ボストン交響楽団
26.10.23   〃    スクロヴァチェフスキー指揮 読売日本交響楽団
26.12.2    〃    フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フイル
27.4.21    〃    スイートナー指揮 シュターツカペレ・ベルリン
27.5.21    〃    スクロヴァチェフスキー指揮 NHK交響楽団
27.6.16    〃    リスト編曲ピアノ編 Pf.グレン・グールド
27.7.14    〃    小沢征爾指揮 ボストン交響楽団
私のLP・・バーンスタイン指揮 シュターツカペレ・ベルリン
      LP・・ジョセフォヴィッツ指揮 ハンブルグ交響楽団
      CD・・ギブソン指揮 ロンドン交響楽団
      CD・・リスト編曲ピアノ編 Pf.グレン・グールド

モーツァルト 交響曲第40番ト短調 Kv.550
         オトマール・スウィトナー指揮
         シュターツカペレ・ドレスデン
短調の持つ独特の悲しみ、それは日本音楽にも通じ、またベートーヴェンは第5交響曲に用い運命を表現している。余りにも不幸な短い生涯だったモーツアルトが、この短調を使って芸術を表現することは当然のことと思われるが、かえって彼の音楽は透明な美と歓びを表面に描きながら、底にはかすかな影を淀ませていると思う。このト短調のもつ独特の曲調は、モーツアルト音楽を代表した“涙”の曲なのだ。ベートーヴェンもシューベルトもメンデルスゾーンもこの交響曲を愛し称賛して最大の賛辞を贈っている。一度聴くと旋律が頭の中に沁みこみ、ついつい口づさむ印象深い曲なのだ。
26.6.19 試聴済み ワルター指揮 ウィーン・フィル
26.8.28   〃    ケルテス指揮 ウィーン・フィル
27.2.24   〃    フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィル
私のLP・・ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団
       CD・・ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 チェコ・フィル
   CD・・フィリップ・ギブソン指揮 ロンドン交響楽団 
 
    H27('15)8.25
 
    私のLPジャケット
       マーラー
 歌曲集「亡き児を偲ぶ歌」
  (第8番所有せず、この盤を掲載)
マーラー 交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」
      S.  ヘザー・ハーパー  ルチァ・ポップ  
         アーリーン・オージェ
      A. イヴォンヌ・ミントン  ヘレン・ワッツ
      T. ルネ・コロ
      Br. ジョン・シャーリー・カーク
      Bs. マルッティ・タルヴェラ
      合唱 ウィーン国立歌劇場・楽友協会合唱団
          ウィーン少年合唱団
      サー・ゲオルグ・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団
初めて聴いた曲だった。彼の交響曲の中でも極めて異質な作品で、あまり演奏される機会も無い。私のクラシック関係書にも記載無く、LPもCDもあまり発売されていないと思う。以下Wikipediaからまとめてみた。
この8番は、大規模な管弦楽に加えて8人の独唱者と複数の合唱団を要する巨大なオラトリオ或はカンタータのような作品。構成的にはこれまでの楽章制を廃した2部制となっており、第1部は中世の作、ラテン語讃歌「来たれ、創造主なる聖霊よ」、第2部ではゲーテの創作「ファウスト第2部」の終末部分から歌詞が採られている。演奏規模の膨大さから「千人の交響曲」と言われている。これは、マーラー自身の命名ではなく、初演時の興行主が宣伝用のポスターにこの言葉を使い成功を収めたらしい。初演は1910年9月12日及び13日ミュンヘンでマーラー自身の指揮。両日とも3,000枚のチケットが、初演の2週間前には完売し、当日は各国から多くの貴族、文化人が集まり、演奏後は喝采が30分間続いたという。曲は850人程度で演奏可能だが、初演時には1,030人の出演者を数え文字通り「千人の交響曲」となった。内訳は、管弦楽奏者171名、独唱者8名、合唱団850人だった。本日聴いたLPがどこでどのように収録されたものか説明がなく分からない。想像するに、どこかの大ホールを借り切り録音したものだろう。

前述のように、曲は2部構成であり第1部は教会音楽で多声的、第2部は幻想的且つホモフォニー(単旋律歌曲)。本日のLP演奏時間は約90分の長丁場だった。
第1部は讃歌「来たれ、創造主なる聖霊よ」は、ラテン語で全く理解不能。だが、男声合唱とソプラノの独唱、各パートの重唱など多彩、児童合唱団も加わり次第に白熱し華々しい金管の響きで昂揚する。
第2部ではバリトン、バスと独唱があり、天使たちの児童合唱団も登場する。さらにソプラノ、アルトの独唱を挟んで重唱となる。最後はソプラノ、テノールの独唱で一段と昂揚し、合唱が加わりオルガン、全管楽器の壮大な響きで最高潮に達する。ベートーヴェンなどの古典派とは異なるマーラーらしいロマン派交響曲の最後を飾るに相応しい終幕だった。レコード鑑賞会とは言え思わず拍手をしたくなるような感激を味わった。これが“五味オーディオ”の醍醐味だろう。

最後にマーラー自身の言葉が残っている。
「この交響曲第8番は内容も形式も独特なもので、言葉では表現できません。大宇宙が響きを始める様子を想像して下さい。それは、もはや人間の声ではなく、運航する惑星であり太陽です」。また、「これまでの私の交響曲は全てこの曲の序曲に過ぎなかった。これまでの作品にはいずれも主観的な悲劇を扱ってきたが、この交響曲は膨大な歓喜と栄光を讃えているものです」とも言っている。

さらにWikipediaによれば、この8番はマーラーの作品中最大規模であるだけでなく、音楽的にも集大成的位置づけを持った作品として、自他ともに認める存在であったにも拘らず、現代において演奏機会に恵まれず、評価、解釈としても言及されることが少ない。これは巨大編成のために演奏者や会場の確保など興行自体が難しいこと、一般的な「交響曲」の枠組みから見て変則的なこと、更に曲の性格が人生に対し極めて肯定的で、広く理解されている彼の厭世感や死との関連、分裂症などの印象と理解が些かかけ離れていること、が挙げられている。十分に納得できる。それだけに、本日の試聴会は貴重なものだった。
     
    H27('15)8.27
          私のCD
  ブルックナー交響曲第8番
   
モーツァルト ピアノソナタ第12番ヘ長調 K.332
         幻想曲ニ短調 K.397
         Pf.内田光子
ピアノソナタ第12番
1778年3月、モーツアルトは母と共にパリに着いたが、同年9月パリを出発するまでの6ケ月間にピアノ奏鳴曲を6曲書いている。その中で最も有名なのは「トルコ行進曲」が入った第11番K.331だ。本日聴いた第12番も非常に親しみやすい曲で、モーツアルトらしい澄み切った秋の空のような美しさに満ちている。演奏しやすいところからピアノの練習用によく用いられ、広く知られている奏鳴曲だ。
幻想曲
音楽ジャンルの幻想曲とは、伝統的な特定の形式から離れ自由なスタイルで作曲された曲のこと。時代によって解釈の仕方が違うが、モーツアルトのこの作品の時代は即興的カラーを強く持った作品のことを指すらしい。彼にとっては、心の赴くままに紡ぎ出す曲に「ファンタジー」を感じていたのだろう。他に同じタイトルで幻想曲ハ短調K.396の作品もの残っている。
私のCD・・Pf.江原郊子(モーツアルトの名曲25選)

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調(ハース版)
         ルドルフ・ケンペ指揮
         チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
今年1月8日の試聴会で交響曲第4番「ロマンチック」を聴いたが、後期ロマン派の代表的作曲家として、このブルックナーはマーラーと共に異色の存在だ。私のような駆け出しのクラシックファンにとっては、ブルックナーを聴き通すのはかなりの苦痛だ。まず、とにかく長い。前述の第4番も優に1時間を超え、本日の第8番も90分近く要する。つぎに、音響が分厚いというかどの音がどう繋がっているのか判別しにくい。音楽界でも長い間理解されず、19世紀の作曲家の中でも極めて孤立した存在であったことも頷ける。大芸術家はいずれも夫々に強い個性を持った作品を残しているが、振り返ってみればそれも時代を継承する歴史的な存在なのだ。この8番はブルックナー自身「私が書いた曲の中で最も美しい音楽」と言って自信を持っていたという。確かに、第3楽章のアダージョは美しい。晩年ブルックナーが到達した深い精神性が見事に表れており、彼の交響曲のすべてがここにある、と言うべきか・・・。
私のCD・・ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団
       (交響曲第8番・ハース版、交響曲第9番・原典版)
 
     H27('15)9.3

    私のLPジャケット
     ショスタコーヴィチ
     交響曲第5番
シューベルト    交響曲第8番ロ短調 D.759「未完成」
チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調 作品64
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調 作品47
            エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
            レニングラード・フィル 
           (1978年6月ウィーン、ムジークフェラインでのライブ)
シューベルト交響曲第8番「未完成」
シューベルトは31歳という短い生涯の内1,000曲にも及ぶ作品を残している。その内およそ640曲が歌曲で交響曲、室内楽、ピアノソナタ、ヴァイオリンソナタ、オペラなど全てのジャンルに亘っている。一般にシューベルトは「歌曲の王」と呼ばれており、私なども「野ばら」「菩提樹」「アヴェ・マリア」など小・中学校で歌っており、今でもその美しいメロディは頭から離れない。「未完成」の愛称で知られているこの交響曲第8番(現在は第7番として整理されている)は彼が25歳の時の作品だが、生前に演奏されることは無く、死後37年後に初演されている。「未完成」の通り2つの楽章しかない。その理由は一切謎のままで誰にも分からない。ある説では、2つの楽章の中に音楽的構想を凝縮し尽くしてしまったから以降の楽章は必要としなくなったから・・・と。低音の美しい旋律から始まる哀調を帯びたオーボエにクラリネットが絡まり反復されてゆく。第2楽章は一転して暗く激しい旋律が展開する。「未完成」は未完成として感じられるが、音楽は完結している。
26.10.9 試聴済み ベーム指揮 ウィーン・フィル
私のLP・・レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル
   LP・・カール・バンベルガー指揮 パドルー管弦楽団
   CD・・フィリップ・ギブソン指揮 ロンドン交響楽団

チャイコフスキー交響曲第5番
過去3回の試聴会で記載済みだが、チャイコフスキーの曲では民謡調のメロディ-が多く顔を出す。この交響曲第5番でも例外でなく非常に親しみやすい。第6番「悲愴」に次ぐ傑作と言われているが、それに比べると運命的な悲惨さ、憂鬱さは少ない。終曲部分は絶望が取り払われ宗教的な威厳と静寂、神々しさがあり安らかな歓喜を感ずる。
私のLP・・ワルター・ゲール指揮 ローマ・フィル
   CD・・クルト・ザンデルリンク指揮 ベルリン交響楽団

ショスタコーヴィチ交響曲第5番
交響曲の歴史はマーラーを最後として殆ど終わるかに見えた。作品は巨大化し古典的な様式は崩れ去っていたから・・・。しかし、20世紀に入って15曲もの交響曲を書き続けた作曲家がいた。それがソヴィエト、ロシアの作曲家ショスタコーヴィチだ。1906年に生まれた彼は革命の終息期に活動を開始している。当時の時代背景から沈黙を強いられ、心情を雄弁に語るには音楽のこの形式しかなかったからではないか・・・。交響曲にこだわった一面でもあろうか・・・。いくつかの作品でも作曲家の意識と社会の現実とにずれが生じ多くの非難を受けている。そんな状況で交響曲第4番の公演を自ら撤回し、翌年発表されたのがこの第5交響曲。彼の真実の言葉が深く隠された曲なのだ。簡潔にして明解、テンポも良く全体を通じて迫力と緊張感に満ちている。特に、最終章の爆発的ともいえる盛り上げは素晴らしい。中・高生の吹奏楽大会などで格好の曲として良く演奏されている。以前は標題に「革命」と付けられていたが、現在では殆ど付けられていない。他の文献を読んでいると次の記述があった。
「フィナーレに各楽章の悲劇的な緊迫を解決し、明るい人生観、生きる喜びへ導くものである」。これはそのまま理解できる。「あそこにどんな歓喜があると言うのか。あれは強制された歓喜なのだ。第5交響曲で扱われた主題は誰にも明白である、と私は思う」と語っている。これが彼の本音であり、私たちも表層的に聴くのではなく、当時の時代背景を含めその意味を深く汲み取らなければならない。
私のLP・・ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団
 
     H27('15)9.8

      私のCD
     モーツアルト
 ピアノ協奏曲第20番、25番
ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲二長調
          Vn.ユーディ・メニューイン
          ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
          フィルハーモニア・オーケストラ
          (1953年ロンドン・キングスウェイホール)
ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーそれにメンデルスゾーンの協奏曲を私たちは4大ヴァイオリン協奏曲と言っている。そして、その協奏曲の中でも最高峰と仰がれているのがこのベートーヴェンの曲なのだ。驚くことにその曲が初演の後、長い間陽の目を見る事がなかった。1806年(36歳)初演の時、楽譜が間際まで出来上がらなかったため、オーケストラとの総練習する時間がなく、名ヴァイオリニストのフランツ・クレメントも初見同様で演奏するというありさまだった。結果、初演の評判は芳しくなく1844年5月に不出世の名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムがメンデルスゾーンの指揮で演奏するまで何と40年近くも眠っていたのである。この演奏が大変な好評となり、今日の名声を得るに至った。曲は彼が「交響曲第5番」や「交響曲第6番」を書く直前の中期の絶頂期に作られただけあって、男性的で情熱的な逞しさに溢れ、前へ前へと突き進む激しい気迫が感じられる。ヴァイオリンソナタはいくつかあるが、協奏曲はこれが唯一の作品。

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 K.466
         ピアノ協奏曲第23番 K.488
         Pf.クララ・ハスキル
         ベルンハルト・バウムガルトナー指揮(K.466)
         パウル・ザッハー指揮(K.488)
         ウィーン・シンフォニーオーケストラ
ピアノ協奏曲第20番
これまでモーツアルトのピアノ協奏曲は第19、21、25、27番を聴いており、この第20番は試聴会では初めて聴いた。モーツアルトは彼自身がピアノの名手でもあったことから、ピアノ協奏曲を27曲も書いている。その内、短調で書かれたのはこの「第20番」と「第24番」の僅か2曲しかない。これは当時の協奏曲が、独奏者のテクニックを誇示するため明るく華やかな長調で書かれることが多く、暗い感じの短調はあまり歓迎されなかったらしい。ところが皮肉なことに彼の場合、ピアノ協奏曲にしても交響曲にしても短調の作品が傑作として評価されている。特にこの曲は、モーツアルトの総てのピアノ曲ならず他のピアノ協奏曲の中でも最高傑作とされ、この曲を熱愛したベートーヴェンはカデンツアを書いているぐらいだ。私が知っているモーツアルトにしては、暗く悪魔的であり且つ悲劇的な感じが強い。

ピアノ協奏曲第23番
ベートーヴェン初期の作品がモーツアルトとかハイドンの影響を強く受けていることは知られているところだが、このピアノ協奏曲もべートーヴェンが丹念に研究したと言われている。この曲はモーツアルトのオペラの中で最も有名な「フィガロの結婚」が初演された僅か1ケ月前に初演されている。彼がそれほど仕事に忙殺されていたのはあくまでも生活のためだった。その後も終身生活の苦労が付いて回る人生だった。そんな中で、よくこれほどの大曲が書けたものだと驚いてしまう。そんな苦労を一切感じさせない曲なのだ。第2楽章が素晴らしい。今まで笑っていた人が突然に涙ぐむような、そんな情感が込められている。
私のLP・・ピアノ協奏曲第23番 Pf.フィリップ・アントルモン 
                    ジャン・アントルモン指揮 フランクフルト交響楽団
   CD・・ピアノ協奏曲第20番、第25番 Pf.フリードリヒ・グルダ 
                    アバド指揮 ウイーン・フィル

ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調 作品92
          ヨーゼフ・クリップス指揮 ロンドン交響楽団
これまで5回試聴しており、これ以上書くことはない曲だ。だが、私のお気に入りの曲で聴くたびに思いは新しい。この曲をリストが「リズムの神化」と言いワグナーも「舞踏の神化」と言っている、ことを付記しておきたい。確かに、この曲の大きな特徴は全体を貫く生命力にあふれたリズムである。また、それを絶妙に展開した交響曲は他にないと思う。
26.5.13 試聴済み フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィル
26.7.31   〃    アバド指揮 ウィーン・フィル
27.2.10   〃    イッセルシュテット指揮 ウィーン・フィル
27.3.17   〃    小沢征爾指揮 水戸室内管弦楽団
27.7.2    〃    ベーム指揮 ウィーン・フィル
私のLP・・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
   CD・・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
   CD・・スウィトナー指揮 シュターツカペレ・ベルリン 
     H27('15)9.17
 
       私のCD
       シベリウス
 ヴァイオリン協奏曲 作品47
シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品47
        Va.ヤッシャ・ハイフェッツ
        ワルター・ヘルドン指揮 シカゴ交響楽団
交響詩「フィンランディア」が作られた頃のシベリウス初期の作品。1903年に作られ1905年に訂正完成されている。全体に北欧的なムードに溢れ、フィンランドの自然を思わせる幻想的で美しい旋律が続く。特に、出足の息の長いフレーズがヴァイオリンの独奏で奏でられ印象深い。彼は若いころヴァイオリニストを目指していたほどの優れた腕を持っていただけに、ソロヴァイオリンのパートは充実している。特に第1楽章の独奏ヴァイオリンとオーケストラが激しく火花を散らす場面は素晴らしい。俗にいう四大ヴァイオリン協奏曲に匹敵する名曲だと思う。普段あまり聞きなれていないだけあって、耳に新鮮で満足感に満たされた。
27.6.2 試聴済み Va.チョン・キョン・ファ ブレヴィン指揮 ロンドン交響楽団  
私のCD・・Vn.五嶋みどり ズービン・メータ指揮 イスラエル・フィル

ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調 作品92
          序曲「レオノーレ」第3番 作品72a
          ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮
          ウィーン・フィル
交響曲第7番
既に6回試聴済みでその都度記載のため今回は省略。
26.5.13 試聴済み フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィル
26.7.31   同上   アバド指揮 ウィーン・フィル
27.2.10   同上   イッセルシュテット指揮 ウィーン・フィル
27.3.17   同上   小沢征爾指揮 水戸室内管弦楽団
27.7.2     同上   ベーム指揮 ウィーン・フィル
27.9.8
    同上   クリップス指揮 ロンドン交響楽団
私のLP・・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
   CD・・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
   CD・・スゥィトナー指揮 シュッターツカペレ・ベルリン 

序曲「レオノーレ」
ベートーヴェン唯一の歌劇「フィデリオ」、別名「レオノーレ」。あれほど多くのジャンルの音楽を作曲した彼にしては全く不思議なことだが、それは彼が夫婦愛のあり方に一種独特の理想主義的な考えを持っていたからで、そうした彼の目から見た場合、当時ほとんどのオペラの台本は軽薄すぎて失格だった。その彼が理想的な台本に出会ったのは1803年(33歳)ごろのことで、18世紀の中頃のスペインを舞台に政敵によって捕えられた政治家フロレスタンを、その妻レオノーレが男装して救い出すという強烈な夫婦愛の物語に大変共鳴して直ちに筆をとったのであった。だが、この作品は最終的な形をとるまでに改定を重ね実に11年の歳月をかけて完成している。彼は死ぬ直前に「生みの苦しみが大きければ大きいほど、その子はかわいい」と語った、と伝えられているように、この作品には大いなる愛着を持っていた。重厚でスケールの大きい音楽だと思う。
27.2.10 試聴済み イッセルシュテット指揮 ウィーン・フィル
27.6.25   同上  ベーム指揮 ウィーン・フィル

ドビュッシー 交響詩「海」
         ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
彼の作品には自然の事象から題材をとったものが多い。海、波、雲、風、雷、水、光・・・。これらは全てドビュッシーの作品の題名に含まれている言葉である。自然の風景にインスピレーションを得た作品は昔から多くあるが、それは自然の「風景」を描写するが風景のもたらす気分や情緒を描いたものであった。だが、ドビュッシーにとっては自然は描写する対象ではなかった。彼は自然の物質的な運動そのものの中に音楽が隠れている、と考えたのである。ドビュッシーは自然こそ音楽の手本である、とエッセー集の中で繰り返し語っている。印象派の画家たちが伝統的な神話や歴史画を捨て、戸外の自然の風景に目を向けたようにドビュッシーもそれまでの音楽の定型から離れ自由な曲を作った。それは自然の中に耳を開くことから得られたものだろう。この「海」の第1楽章「海上の夜明けから正午まで」、第2楽章「海の戯れ」、第3楽章「風と海の対話」はそれぞれチェロ、コントラバス、ホルン、トランペットなどの楽器を使い分け情景を描いている。古典的な定型からは大きく離れた曲だけに捉え難い感じもするが、絵画の印象派を思い浮かべ想像を巡らすと結構楽しい曲なのだ。
27.8.11 試聴済み カラヤン指揮 ベルリン・フィル
27.8.18   同上   ブーレズ指揮 ニューヨーク・フィル
私のLP・・アンセルメ指揮 スイスロマンド管弦楽団
 
    H27('15)9.29
 
      私のCD
   メンデルスゾーン
  交響曲第4番「イタリア」
   第3番「スコットランド」
R.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」
          ヘルベルト・プロムシュテット指揮
          ドレスデン・シュターツカペレ
H26.6.24 試聴済み マゼール指揮 クリーヴランドオーケストラ
私のCD・・マゼール指揮 フィラデルフィア管弦楽団

シューベルト     交響曲第8番ロ短調 D.759「未完成」
メンデルスゾーン 交響曲第4番イ長調 作品90「イタリア」
            ジュゼッペ・シノボリ指揮
            フィルハーモニア管弦楽団
シューベルト「未完成」
26.10.9 試聴済み ベーム指揮 ウィーン・フィル
27.9.3    同上  ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィル
私のLP・・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル
   LP・・バンベルガー指揮 パドルー管弦楽団
   CD・・ギブソン指揮 ロンドン交響楽団
「英雄の生涯」及び「未完成」は既に記載済みにつき今回は省略。

メンデルスゾーン「イタリア」 この試聴会では初めての登場。
北ドイツ・ハンブルグの裕福な銀行家の息子として生まれたメンデルスゾーンは、恵まれた環境の中ですくすくと育ち、思うままに各地を旅することができた。20歳(1829年)の時、イギリスを振り出しにヨーロッパの都市を巡りイタリアにも足を伸ばした。ローマに半年ほど滞在した彼は、暗くて寒い故郷ハンブルグとは全く違う南欧イタリアの明朗快活な情緒や芸術的な香りにとりことなり、早速に取り掛かったのが「イタリア」と名付けられたこの曲だったのだ。交響曲第3番の「スコットランド」をしのぎ彼の4つの交響曲の中で第1位とも言うべき傑作である。明るい南国の印象が、彼の生来の屈託のない明朗さを引出し、全体に爽やかで流麗な明るさに満ちているが、些か単調な旋律が繰り返され、第3番「スコットランド」の方がメンデルスゾーンらしい美しい旋律と響きが感じられ、こちらを第1位に推す人もいる。然し、本日久しぶりに聴いて第2楽章の哀愁を帯びた抒情的な美しさに聴き惚れ、私としてはこの第4番を支持したい。
私のCD・・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル

余談ながらクラシックを聴き始めた頃、標題に国名、地名の付いたレコード、CDを買い求めたことがあった。いま、手許にあるものを次に記しておきたい。(ほぼ年代順)
ハイドン 交響曲第104番「ロンドン」 
モーツァルト 交響曲第31番「パリ」 第36番「リンツ」 第38番「プラーハ」
         ピアノソナタ第11番「トルコ」行進曲付き
ベルリオーズ 交響曲「イタリア」のハロルド
メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」 第4番「イタリア」
シューマン 交響曲第3番「ライン」
リスト 「ハンガリア」狂詩曲 幻想曲
スメタナ 交響詩「モルダウ」
ブラームス 「ハンガリア」舞曲
サン・サーンス ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」
ボロディン 交響的描写曲「中央アジアの草原にて」
ブルッフ 「スコットランド」幻想曲
チャイコフスキー 交響曲第3番「ポーランド」 交響詩曲「イタリア」奇想曲
ドヴォルザーク 交響曲第8番「イギリス」 弦楽四重奏曲第6番「アメリカ」
           交響曲第5番「新世界より」 注.国名はないが明らかにアメリカ
シャブリエ 狂詩曲「スペイン」
リムスキー・コルサコフ 組曲「スペイン」奇想曲
ドビュッシー 交響組曲「イベリア」
シベリウス 交響詩「フィンランディア」
ファリア ピアノおよび管弦楽のための「スペインの夜の庭」
クライスラー 「中国の太鼓」 「ウィーン」奇想曲 両曲ともヴァイオリン曲
ラヴェル 交響詩「スペイン」狂詩曲
エネスコ 「ルーマニア」狂詩曲
レスピーギ 交響詩「ローマの泉」 「松」 「祭り」
ケテルビー 「ペルシャの市場にて」
エネスコ 「ルーマニア」狂詩曲
グロッフェ 組曲「ミシシッピー」
ショスタコヴィッチ 交響曲第7番「レニングラード」
    H27('15)10.6
 
       私のCD
  フランク 交響的変奏曲
チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35
            ゆううつなセレナーデ変ロ短調 作品26
            Vn.ギドン・クレメル マゼール指揮 ベルリン・フィル
ヴァイオリン協奏曲
26.6.12 試聴済み Vn.前橋汀子 
             エッシェンバッハ指揮 チューリッヒ・トーハレー・オーケストラ
27.6.2  
 同上   Vn.チョン・キョン・ファ ブレヴィン指揮 ロンドン交響楽団
27.8.4    同上   Vn.ハイフェッツ シカゴ交響楽団
私のLP・・Vn.オイストラウ ロジェストヴェンスキー指揮 モスクワ・フィル
   LP・・Vn.フランチェスカッティ シッパーズ指揮 ニューヨーク・フィル

既に記載済みにつき今回は省略

ゆううつなセレナーデ
私としては初めて耳にした曲。小管弦楽を伴奏としたヴァイオリン協奏曲で、彼が35歳(1875年)の時の作品。曲は甘美な管弦楽の序奏に始まる。チェロの低い音に木管が優しく絡まる。やがてヴァイオリンが憂鬱な主題を奏し出す。そして最後まで独奏に近い感じで終わる。題名に反し私的には非常に心安らぐ曲だった。

フランク 交響曲ニ短調
      交響的変奏曲~ピアノと管弦楽のための
      Pf.パスカル・ロジェ マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団
交響曲ニ短調
27.5.14 試聴済み バーンスタイン指揮 フランス国立管弦楽団
私のCD・・ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
既に記載済みのため今回は省略

交響的変奏曲
フランク晩年の傑作で63歳(1885年)に完成した作品。フランクはブルックナーやラロとともに大器晩成型の作曲家として有名。この曲はピアノとオーケストラのために書かれた作品で、実質的にはピアノ協奏曲だ。曲は最初オーケストラで暗い表情の動機が奏され、続いて優しく慰めるかのような感じの動機がピアノに現れる。その後ピアノによってこの主題がさまざまに変奏され次第に曲を盛り上げてゆく。ピアノの音色が実に心地良かった。
私のCD・・Pf.ロベール・カサドシュ 
ユージン・オーマンディ指揮 フイラデルフィア管弦楽団 
    H27('15)10.8
 
    チャイコフスキー
     ピアノ三重奏曲
  (本日試聴と同一の奏者)
チャイコフスキー ピアノ三重奏曲イ短調 作品50
           Pf.ウラディーミル・アシュケナージ
           Vn.イツァーク・パールマン
           Vc.リン・ハレル
この試聴会では初めて登場。手許の本には、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重奏曲と題名の頭に書いてあり、副題として「ある偉大な芸術家のために」と記してある。これはチャイコフスキーの先輩であり恩人であるニコライ・ルービンシュタインの逝去を悼みその業績に感激して作曲し献呈したものであるからだ。チャイコフスキーはこの種の三重奏曲にはあまり興味を持っていなかったが、メック夫人の勧めにより作曲したと言われている。彼の伝記作者によれば「この世のあらゆる悲曲の中で最も美しいものの一つである」と言っている。最初の楽章に「哀悼曲」と記し、その中に懐かしい悲しい想い出を物語っている。次にルービンシュタインが逝去する数年前、チャイコフスキーが彼と共に過ごした田舎の一日を描いているが、美しい田園風景が主題として歌われ素晴らしい旋律でピアノの活躍が目立つ。最終章はその美しい旋律に一段と磨きがかかり、葬送行進曲の厳かな曲調が次第に遠ざかってゆくうちに完結する。室内楽史に残る傑作だ。

マーラー 交響曲「大地の歌」
      Ms.ジャネット・ベイカー T.ジェイムス・キング
      ベナルト・ハイティンク指揮
      アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
音楽家には縁起を担ぐ人が多い。マーラーもその一人であった。ベートーヴェンもブルックナーも交響曲は9曲で終わっている。そこでマーラーは「交響曲8番」を完成した後作曲した交響曲を「第9番」とはしないで「大地の歌、テノールとアルトまたはバリトンと管弦楽のための交響曲」として発表したのであった。しかしマーラーは、次の「第9番」を書いた後「第10番」を未完成のまま世を去った。
注.この第10番は残された第1楽章(アダージョ)のみ単独で演奏される機会も多いが第2次大戦後補筆によっていくつかの全曲完成版が作られている。中でもイギリスの音楽学者リック・クリックのものが広く受け入れられており、演奏されることが多い。私もこの試聴会で今年7月7日聴いた。(クラウス・テンシュテット指揮、ロンドン・フィル)
この「太地の歌」は中国・唐時代の詩に曲を付けたもので、マーラーは人生の哀歓を歌い上げたそれらの詩の東洋的な思想に深く共鳴してこの作品を書いた。然しながら、東洋の詩情はマーラーの理解を得るに至らず失望を覚える人も多い、と言われている。1時間を優に超す大曲だが原語で歌われているため、言葉の意味が分からず消化不良も甚だしい。オペラ上演の時のように字幕が欲しい気持ちだ。この試聴会は事前にプログラムの予告がないため、下調べも不能で試聴後あらためて手元の資料で勉強するしか手がない。
その本によれば、次のような内容で構成されている。
1.「大地の哀愁を歌う酒の歌」 テノール
2.「秋の淋しき者」 アルトまたはメゾ・ソプラノ
3.「青春について」 テノール
4.「美について」 アルトまたはメゾ・ソプラノ
5.「酒に酔える者」 テノール
6.「告別」 アルトまたはメゾ・ソプラノ
 
    H27('15)10..20
  
     ブルックナー
遅れて出世のため晩年の姿しかない
シューベルト 交響曲第7(8)番ロ短調 D.759「未完成」 
ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
         クラウス・テンシュテット指揮 ロンドン・フィル
         (1984.4.11東京簡易保険ホール ライブ)
シューベルト「未完成」
シューベルトは不遇の作曲家であった。多くの作品は彼の死後に発見され、10年、20年以上経ってようやく出版されている。この交響曲第7番「未完成」(従来の第8番)も死後37年経って発見され初演されている。交響曲第8番「ザ・グレイト」(従来の第9番)も死後11年後にシューマンが遺品の中から発見し、メンデルスゾーンの指揮で初演され陽の目をみたのである。現在の我々がシューベルトの代表作として愛聴しているこれらの作品を、彼自身は一度も聴くことはできなかったわけだ。この一連の試聴会でも作品NOが十分に整理されてなく、第7番、第8番、第9番が混乱しており( )で併記されていることが多い。現代の整理番号は第7番「未完成」(従来の第8番)、第8番「ザ・グレイト」(従来の第9番)となっている。
これまで3回試聴しており今回はコメントは略。
26.10.9 試聴済み ベーム指揮 ウィーン・フィル
27.9.3    〃     ムラヴィンスキー指揮 レニーングラード・フィル
27.9.29   〃     シノボリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
私のLP・・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル
   LP・・バンベルガー指揮 パドルー管弦楽団
   CD・・ギブソン指揮 ロンドン交響楽団

ブルックナー交響曲第4番
ブルックナーの音楽は、長い間世間に認められなかった。それは彼の交響曲が余りにも長大で渋く親しみにくいからだ。現にこの曲も優に1時間を超える大曲だ。彼の交響曲は第1楽章の開始が俗に「原始霧」と呼ばれている。ヴァイオリンのトレモロによるささやくような音で始まり、それが深い霧の中から何かが次第に現れて来るかのような特徴を持っているからだ。「ロマンティック」という題は彼自身が付けたもので、近代的な意味での甘い抒情や男女の恋愛などを指すものではなく、中世の騎士物語や伝説の世界(ロマン)を想定してこの曲をかいたものらしい。実にスケールの大きい雄大な曲だ。ライブ盤だけあって終了後の大拍手は長く続き、レコードコンサートの我々もつい連れられて拍手したい衝動を感じた。

27.1.8 試聴済み テンシュテット指揮 ベルリン・フィル
    H27('15)10.22
  
      私のCD
  シューマン 交響曲第4番

チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」
           セミョン・ビシュコフ指揮
           アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
チャイコフスキーはこの曲の初演から僅か9日後にこの世を去った。彼の音楽は、感傷的で甘悲しい旋律の溢れたものが多いが、この曲はそれまでとは異なり暗く悲観的な響きが全編に流れている。「悲愴」という標題はチャイコフスキー自身によって付けられたものだが、この題によって彼が何を言おうとしたのか手がかりとなるようなものは全くない。多くの人は彼の内向的な性格や、家庭的に恵まれなかった過去の生活などと結び付けている。他にも当時の帝政ロシア全体を覆っていた重苦しい空気の中で、生活していた民衆の悲しみや苦しみをこの曲で表そうとしたのではないか、と言う説もある。第4楽章を聴いていると彼は自分の死を予期していたのではないか、と思われ絶望と恐怖の前兆を感じる。終末の音は粛々として寂しい。
26.6.3 試聴済み アバド指揮 ウィーン・フィル
私のLP・・シャルル・ミンシュ指揮 パリ音楽院管弦楽団
   CD・・エイドリアン・レーバー指揮 モスクワ交響楽団

メンデルスゾーン 交響曲第4番イ長調 作品90「イタリア」
シューマン     交響曲第4番ニ短調 作品120
            クラウス・テンシュテット指揮 ベルリン・フィル
メンデルスゾーン交響曲第4番
彼が21歳の時、1830年から翌31年にわたるイタリア滞在中に着手し、24歳の時に完成している。第3番の交響曲「スコットランド」をしのぎ4つの交響曲の中で第1位の傑作と言われている。南欧の明るい空の下イタリアの風景と風俗と物語、それらから受けた強い印象が曲の中に溢れている。第2楽章の哀愁を帯びた旋律はいつ聴いても素晴らしい。本日のようにチャイコフスキーの「悲愴」の直後にこの曲を聴くと明るさを一段と感ずる。
27.9.29 試聴済み シノボリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
私のCD・・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル

シューマン交響曲第4番
この試聴会初登場の曲(もっとも全会出席しているわけではないので、欠席時に紹介があったのかも知れないが・・・)

この交響曲は第4番となっているが、実際には第2番目に相当するもので、第1番が1841年に作られてから数か月後の同年9月に完成し演奏されたが、更に10年後に補筆修正しその間新しい交響曲が二つも作られたので前後を変更し第4番に置かれたもの。この曲は楽章の終わり毎に休まず、全曲通して演奏される。元来「交響的幻想曲」と名付けられていた。これは先ほど書いたメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」同様ロマン派の新しい傾向である。シューマンの4つの交響曲の中で最高傑作とされている。
私のCD・・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィル
    H27('15)10.27
 
      私のCD
    ストラヴィンスキー
    「ペトルーシュカ」
ストラヴィンスキー 2台のピアノのための協奏曲
              ペトルーシュカからの三楽章
            Pf.カティア・ラベック Pf.マリエル・ラベック
この試聴会に初登場の曲。あまり演奏される機会がなく、手許の文献にも一切資料が無い。webで検索してもデーターは少ない。You Tubeで検索すると1件のみ日本人の演奏ライブが見つかった。改めて聴いてみた。冒頭、速く激しいタッチが続きやがてスローな旋律に変わる。その後、緩急交互に入り交るかなりのテクニックを要する曲なのだ。途中2台のピアノが互いに語り合うような場面もあり、ドラマチックな曲だ。難曲にも拘らず録音は多く人気のある曲らしい。あるピアニストはこの曲を「技巧を見せびらかすだけの曲だ」と評し、自分は弾かないと明言している由。重音を多用するため、腰や腕の関節など体に負担がかかり、成長期の奏者は弾かないほうが良いと指摘する者もいる。

ブルックナー 交響曲第6番イ長調
         ウォルフガング・サバリッシュ指揮
         バイエルン国立管弦楽団
この6番も初めての登場。これまで4番、8番は聴いている。いずれも演奏時間は長いが、この曲も同様で60分近くかかった。作曲は1879年の8-9月ごろ始まり、2年後の1881年9月に完了している。この間、1880年ブルックナーは夏季休暇にスイス旅行に出かけモンブラン山脈の眺めを楽しんでいる。大自然を愛好する気持ちがこの曲の中で伸び伸びと表現されており、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と似た趣があり、そこからこの曲は「ブルックナーの田園交響曲」と呼ばれることもある。別説では交響曲第4番「ロマンティック」をブルックナーの「田園交響曲」と言う人もいる。私には双方の説に頷ける。その一方、リズム動機が全曲を貫くところや「田園交響曲」に無い激性や輝かしさはベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」や第7番にも似ており、どちらの特色を出すかは指揮者次第である、とも言われている。とにかく、名曲だからいろいろと騒がれるのだろう。これまで聴いた曲と同様に雄大で奥深くスケールの大きい曲だ。聴き入るほどに魅力を感ずる。
   H27('15)10.29
 
      私のCD
   グリーグ、シューマン
     ピアノ協奏曲
グリーグ   ピアノ協奏曲イ短調 作品16
シューマン ピアノ協奏曲イ短調 作品54
        Pf.スヴィヤトスラフ・リヒテル
        ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮
        モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団
グリーグ ピアノ協奏曲
27.3.10及び5.26記載済みにつき今回省略。
27.3.10試聴済み Pf.ゲザ・アンダ クーベリック指揮 ベルリン・フィル
27.5.26 同上   Pf.クリスティアン・ツィマーマン カラヤン指揮 ベルリン・フィル
私のCD・・Pf.クラウディオ・アラウ コリン・ディヴィス指揮 ボストン交響楽団
   CD・・5.26試聴のものと同じ

シューマン ピアノ協奏曲
27.3.10記載済みにつき今回は省略。
27.3.10試聴済み Pf.ゲザ・アンダ クーベリック指揮 ベルリン・フィル
27.5.26 同上   Pf.クリスティアン・ツィマーマン カラヤン指揮 ベルリン・フィル
私のLP・・Pf.リリークラウス 
ヴィクトル・デサルッアンス指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団

チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」
            ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団
この試聴会3回目の登場となった。クラシックファンなら誰でも知っている名曲で、何回聴いても飽きない。重く悲哀に満ちた旋律が心に沁みる。その中で第3楽章はスケルツォと行進曲が交互に表れ、明るく生き生きとしている。交響曲の終末は大音響でこれでもかこれでもかの如く波状的に繰り返されるものが多いが、この「悲愴」は荒野を吹き荒れる木枯らしの如く粛々として寂しく静かに細く消えて行く。余韻に浸る幸せがある曲なのだ。
26.6.3試聴済み アバド指揮 ウィーン・フィル
27.10.22 同上  ビシュコフ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
私のLP・・シャルル・ミンシュ指揮 パリ音楽院管弦楽団
   CD・・エイドリアン・レーバー指揮 モスクワ交響楽団 
    H27('15)11.10
 
    私のLPジャケット
 ブルックナー交響曲第7番
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131
          ラサール弦楽四重奏団
この試聴会初登場の曲。ただし、第12番、第15番、第16番は聴いている。
1824年に第9交響曲を書きあげると、もう自分の仕事は成し終えたというように、ベートーヴェンは残された時間の総てを弦楽四重奏曲の創作に集中させた。第12番から第16番までの5曲と「大フーガ」がそれである。50代に入ってからのこれらの作品は「後期の名作」と呼ばれ、いずれも彼の生涯を総括する高い境地に到達した作品である。この14番は珍しく7つの楽章からなり、形式的にも全くこだわりを見せていない。従来の楽章形式の枠からすっかり自由になり、過去を回想し安らぎを求めたのだろうか・・・。ベートーヴェンに対する先入観が強いのか、これらの弦楽四重奏曲を聴いても常に“交響曲”の幻影を強く感ずる。


ブルックナー 交響曲第7番ホ長調
         カール・ベーム指揮 ウィーン・フィル
この曲も試聴会初。今日は2曲とも初めてで、新鮮な気持ちで拝聴した。ブルックナーはこれまで第4番、第6番、第8番を聴いている。その都度記しているがとに角長時間で音響が分厚いというか、音の繋がりが分かり辛く、古典派にみる型式とかメロディが混沌としており馴染にくいのだ。交響曲のポピュラー御三家とも言う「運命」「未完成」「新世界」、四大となれば「悲愴」が加わり、その上ともなればモーツアルト、ブラームス次にマーラー、ブルックナーで“通”となり、シベリウス、ショスタコーヴィチで交響曲は卒業となるらしい。ブルックナーはどうしても通過しなければならない一大関門なのだ。本日聴いた第7番のLP2枚一組は私の若い時代に購入している(ショルティとウィーン・フィルの来日記念盤、キングレコード)当時はあまりクラシックになじみがなく、格好をつけて見栄で購入していたものと思う。さて、本題に戻ろう。ブルックナーは大器晩成型の人で、彼が長く世に認められなかった理由の一つには、当時ウィーンの楽団が目の敵にしていたワーグナーの熱烈な崇拝者であったため、批評家たちの痛烈な批評を浴びていたからであった。この曲を作曲中の1883年(59才)、そのワーグナーの訃報に接した彼は第2楽章に葬送行進曲を書き加えその死を追悼したのであった。その結果、初演に成功を収め彼の初めての成功作となった。この時彼は60歳、ウィーン音楽院の教授に迎えられてから苦節20年目の勝利であった。スケールの雄大さ、オルガン的な響きと抒情的な美しさは素晴らしい。
私のLP・・ショルティ指揮 ウィーン・フィル
    H27('15)11.12
 
      私のCD
   ラヴェル 「ボレロ」
シューベルト ピアノ五重奏曲イ長調 作品114(D.667)「ます」
         Pf.アルフレッド・ブレンデル
         クリーヴランド弦楽四重奏団員
27.3.24 試聴済み Pf.アルフレッド・ブレンデル クリーヴランド弦楽四重奏団員
上記に記載済みにて今回省略
私のLP・・Pf.パウル・パドゥラ・スコダ ウィーン・コンサートハウス弦楽四重奏団

ムソルグスキー/ラヴェル編曲 「展覧会の絵」
ラヴェル 「ボレロ」
         ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
「展覧会の絵」
27.1.20 試聴済み Pf.アレクシス・ワイセンベルグ 左記に記載済み、省略
私のLp・・Pf.ウラディーミル・アシュケナージ

ラヴェル「ボレロ」
27.8.11 試聴済み シャルル・ミンシュ指揮 パリ管弦楽団 左記記載済み省略
私のLP・・ラヴェル名演奏集 Pf.フランソワ
   CD・・ボレロ、スペイン狂詩曲 マゼール指揮 フランス国立管弦楽団
    H27('15)11.17
 
    私のLPジャケット
 ベートーヴェン交響曲第7番
ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調 作品92
          ヨーゼフ・クリップス指揮 ロンドン交響楽団
この試聴会8度目の登場。この盤は前回9/17に聴いている。これまでにも記しているが、この7番は私のお気に入りの曲で何回聴いても飽きることがない。ベートーヴェン自身もこの交響曲を「私の最も優れた作品の一つである」と言っている。耳は聾同様となり、恋愛に敗れ人生のどん底に近い状況の中で生まれた曲なのだ。結果的にこの曲はその手法、表現、内容、楽器の編成などあらゆる点においてベートーヴェンの曲の中でも第1級のものである、と言われる。全体を貫くリズムは生命力に溢れ聴く者に大きな勇気を与える。
26.5.13 試聴済み フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィル
26.7.31   〃    アバド指揮 ウィーン・フィル
27.2.10   〃    イッセルシュテット指揮 ウィーン・フィル
27.3.17     〃     小沢征爾指揮 水戸室内管弦楽団
27.7.2     〃    ベーム指揮 ウィーン・フィル
27.9.8     〃    クリップス指揮 ロンドン交響楽団
27.9.17   〃    イッセルシュテット指揮 ウィーン・フィル
私のLP・・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
   CD・・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
   CD・・スゥィトナー指揮 シュターツカペレ・ベルリン
これまでに聴いたベートーヴェンの交響曲
第1番 26.7.10 27.4.30
第3番「英雄」 26.5.27 26.10.23 26.12.18
第4番 26.8.5 26.10.23 27.3.17 27.4.16 27.7.2 
第5番「運命」 26.8.7 26.8.11 26.9.4 26.10.23 26.12.2 27.4.21 27.5.21 
          27.6.16 27.7.14 27.8.20
第6番「田園」  26.12.2
第7番 26.5.13 26.7.31 27.2.10 27.3.17 27.7.2 27.9.8 27.9.17 27.11.17
第8番 26.7.31 27.4.30
第9番 26.7.26 26.8.11 27.1.20

ドビュッシー 前奏曲集第1巻
        Pf.アロトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェロ
ショパン同様24曲の前奏曲を書き、これを12曲ずつ2巻にまとめ、第1巻は1910年、第2巻は1913年に出版された。想い出と幻想と印象、感覚が取り扱われショパン以降の最大傑作と言われている。構成は次の内容。              
1.ディルフィアの踊り子             7.西風の見たもの
2.帆、港に憩う小舟               8.亜麻色の髪の乙女 
3.野末をわたる風                9.途絶えしセレナード
4.夕暮れの大気にただよう音と香りと   10.沈める寺
5.アナカプリの血                11.パックの踊り
6.雪の上の足跡
                12.吟遊詩人
今回初めて聴いたが、8の「亜麻色の髪の少女」は有名な曲でかつて聴いたことがある。この試聴会でも26.7.8前橋汀子さんのヴァイオリンで聴いている。本来はピアノ曲だがヴァイオリン、チェロの演奏も多くある。
12曲の内3,6,8のメロディは、東洋的な匂いが強い。ドビュッシーは1889年のパリ万博でベトナムの舞踊や日本の舞踊・美術、インドネシアのガムラン音楽などに触れて、深い驚きと感銘を受けたことを書き残しており、今日聴いた前奏曲集を初め、後のドビュッシーの音楽に大きな痕跡を残している。因みに交響詩「海」の初版のスコアーの表紙は、北斎の版画「波裏の富士」が用いられている。この試聴会でも27.8.11交響詩「海」のLPジャケットが北斎の版画で装丁の珍しく且つ貴重なものだった。今度市場で見つけたら是非手に入れたい代物だ。
私のCD・・亜麻色の髪の乙女 「珠玉のピアノ名曲集」に収録 Pf.江原郊子
    H27('15)11.26
 
      私のCD
チャイコフスキー
交響曲第5番
ワーグナー 「マイスタージンガー」前奏曲
         「タンホイザー」序曲
         序曲「ファスト」 
         「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
         ピェール・ブーレーズ指揮 ニューヨーク・フィル
「マイスタージンガー」
26.10.9及び10.16 試聴済み ベーム指揮 ウィーン・フィル
夫々に記入済みにつき今回は省略。
私のLP・・カール・バンベルガー指揮 フランクフルト・オペラ座管弦楽団
   CD・・カール・ベーム指揮 ウィーン・フィル

「タンホイザー」
ドイツロマンチック街道の終点に近い山腹に美しい城がある。日本人観光客にも人気のあるノイシュヴァンシュタイン城である。この城はワーグナーの音楽に心酔していたルートヴィヒ王が「タンホイザー」の舞台となったアイゼナッハのワルトブルク城の古風な佇まいに魅せられ莫大な費用を投じて建てたと言われている。物語は、中世のワルトブルク城を舞台に恋愛詩人タンホイザーと領主の姪のエリーザベト姫との悲恋を扱ったもので、清らかな女性の愛の力によって魂が救済されるというワーグナーの中心思想がよく表れた作品となっている。彼が32歳(1845年)に完成したもので、彼のオペラの中では最もよく取り上げられる作品だ。
私のCD・・ワーグナー序曲、前奏曲集
序曲「ファスト」
ドイツの詩聖ゲーテの詩劇「ファスト」からは多くの音楽家が名曲を残している。リストのファスト交響曲、グノーの歌劇「ファスト」、ベルリオーズの「ファストの劫罰」は有名。ワーグナーもこの詩劇に心を惹かれ交響曲を書こうと1839年から40年にかけて着手したが、一楽章のみ書いて中止している。後にこれを序曲にまとめ1844年初演した。ファストの心に起った煩悶、不平、壊滅はワーグナーに深い感銘を与え、これらを主題としてこの序曲が作られた。
「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
26.11.18及び12.18 試聴済み フルトヴェングラー指揮 
フィルハーモニア管弦楽団
記入済みにつき今回は略。
私のCD・・ワーグナー序曲、前奏曲集 ベーム指揮 ウィーン・フィル
      「ニュルンベルグのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
      「タンホイザー」序曲
      「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲  収録済み

チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調 作品64
            リッカルド・シャイー指揮 ウィーン・フィル
この曲はこれまでに4回聴いている。内気な性格だったチャイコフスキーは、青春時代に指揮台に立って失敗してから決して指揮棒を取ろうとはしなかった。ところが1886年(46歳)ふとしたことから指揮を始めた彼は、それが好評だったことからすっかり自信を持つようになり、その翌年にはヨーロッパ各地を自作を指揮して回る旅に出た。この成功で創作意欲を燃やした彼は10年ぶりに交響曲の作曲に着手した。それがこの第5番なのだ。この曲は第4番と同じく一つの主題を全編に用いているのが大きな特徴で、この重く暗い主題がこの曲の主人公となっている。甘美な中に哀愁を帯びたクラリネットの第1主題が始まる。やがて弦楽器が加わり死のような憂鬱な幻想的旋律が浮かんでくる。ゆっくりと始まった曲は次第に性急となり狂奔する。一転して第2楽章は、美しいアンダンテ・カンタービレが始まり怪しくも美しい旋律に包まれる。最終章では暗い影は取り払われ、安らかな歓喜が充満する。それにしても、結末が来るようで来ない。数回の山を経て半分諦めかけたころやっと終結する。
26.7.1及び9.9 試聴済み ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィル
27.3.24 試聴済み バディス指揮 ロンドン・フィル
27.9.3    〃   ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィル
私のLP・・ワルター・ゲール指揮 ローマ・フィルハーモニ管弦楽団
    CD・・クルト・ザンデルリンク指揮 ベルリン交響楽団
    H27('15)12.3
 
       私のCD
     プロコフィエフ
   「ロミオとジュリエット」
プロコフィエフ バレー音楽「ロメオとジュリエット」から
          エーリッヒ・ラインスドルフ指揮
          ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団
27.3.26 試聴済み、今回と同一盤。この時に記載済みにつき今回は省略。
私のCD・・エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィル

ワーグナー ラインの黄金から「ヴァルハラ城の神々の入場」
        ワルキューレから「ワルキューレの騎行」
        ジークフリートから「森のざわめき」
        神々の黄昏から「ジークフリートのラインの旅」
        タンホイザー「第3幕への前奏曲」
        パルジファル「第1幕への前奏曲」 
        オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団
過去の試聴会で記載済みにつき、今回は個々の音楽を離れ、ワーグナーについて記したい。音楽が、純粋な音を構成する技術から、作曲家の“意志・心”を表現するものとなったのは、ベートーヴェン以降のことと言われる。「第9交響曲」は作曲家の思想を表明した最初の作品だったのだ。ロマン主義の作曲家は純粋な音の響きだけではもはや自分の観念(idear)を表現しきれなくなり、音の背後に言葉を介在させることになった。音による思考と言葉による思考は分かちがたいものとなったのだ。特にワーグナーは、音楽と文芸のあらゆる要素を融合させ、総合的な芸術作品を創ろうとしていた。一般に「楽劇」と呼ばれるワーグナーの「音楽とドラマ」の作品は、将に音楽とドラマが合体したものだ。従って、構想から台本、作曲まで全て彼自身の仕事となり、北欧神話、古代ゲルマン神話などを基に彼自身の世界観を入れ創作していったのである。最終的には、これらの作品を上演するため「バイロイト祝祭劇場」の建設まで実に28年をかけて実現している。彼はオペラ界の革命児である。当時のオペラ界は、イタリアオペラの人気が高く歌手のテクニックをひけらかすことを中心にメロドラマが主流だった。それを文芸(台本)、美術(舞台)、演劇、音楽などの総合芸術としてまとめ上げていった。それこそが彼のオペラだったのだ。その中でも一番の特徴は、声楽中心だったイタリアと違い器楽、音楽を重視した。そのためオペラの演奏に100人を超える大オーケストラを出現させている。
27.8.18 試聴済み 今回と同一盤
私のCD・・ワルキューレ、ショルティ指揮 ウィーン・フィル
    LP・・ジークフリート、ショルティ指揮 ウィーン・フィル
    CD・・タンホイザー、ベーム指揮 ウィーン・フィル
    CD・・パルジファル、ワルター指揮 コロンビア交響楽団
    CD・・    〃   、ベーム指揮 ウィーン・フィル  
 
    H27('15)12.10
 
       私のCD
     ベートーヴェン
    交響曲第7番、8番
モーツァルト セレナード第7番ニ長調 K.250 「ハフナー」
         Vn.ウィリー・ポスコフスキー
         カール・ミュンヒンガー指揮 ウィーン・フィル
今回初登場。18世紀に流行した「セレナード」は、今日のセレナードとは違ってもっと大規模な、ちょうど喜遊曲(ディヴェルトメント)のように4つまたはそれ以上の楽章からなり、室内楽と交響曲の中間に位置するような型式を取っている。モーツァルトは、このセレナードを13残しているがいずれもこうした大規模の楽式によっている。その中でも最も規模の大きいのがこの「ハフナー・セレナード」である。この曲は彼がまだ故郷のザルツブルクにいた20歳(1776年)の作品で、ザルツブルクの名門ハフナー家の令嬢エリザベートの結婚祝いの宴席のための音楽として作曲された。そうした華燭の宴に相応しい華やかさを持ったこの曲は全曲を通じて演奏すると1時間近くを要する。当時はこうしたセレナードのような機会音楽は、現在のように一気に演奏される訳ではなく、適当に分割して演奏されるのが普通で、この素晴らしい音楽をBGMとして楽しんでいたらしい。確かに本日初めて聴いて豪華なハフナー家の結婚パーティの様子が目に浮かんでくるようだった。かつて見た絢爛豪華なヴィスコンティの映画を思い浮かべ、妄想に浸る自分がいた。第2楽章の独奏ヴァイオリンは素晴らしく強く印象に残った。

ベートーヴェン  交響曲第1番ハ長調 作品21
           交響曲第8番ヘ長調 作品93
          オトマール・スウィートナー指揮
          シュターツカペレ・ベルリン
交響曲第1番 26.7.10 試聴済み カラヤン指揮 ベルリン・フィル
          27.4.30   〃   スイートナー指揮 シュターツカペレ・ベルリン
交響曲第8番 26.7.31    〃   アバド指揮 ウィーン・フィル
          27.4.30    〃   スイートナー指揮 シュターツカペレ・ベ.ルリン
上記の試聴時にコメント済みにて今回は省略。
私のCD・・8番 ヘルベルト・プロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン
 
       H27('15)12.15
 
        私のCD  
   ベートーヴェン序曲集
   レオノーレ序曲第3番72a
ベートーヴェン 交響曲第4番変ロ長調 作品60
          交響曲第5番ハ短調 作品67「運命」
          交響曲第3番変ホ長調 作品66「英雄」
          レオノーレ序曲第3番 作品72a
          スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー指揮
          読売日本交響楽団
          SACDライブ録音 2012.3サントリーホール 
                          9横浜みなとみらいホール
交響曲第4番
次の通り試聴済みで記載済みにつき今回はコメント省略。
26.8.5 試聴済み クライバー指揮 バイエルン国立管弦楽団
26.10.23  〃   スクロヴァチェフスキー指揮 読売日本交響楽団
27.3.17   〃   小沢征爾指揮 水戸室内管弦楽団
27.4.16   〃   スイートナー指揮 シュターツカペレ・ベルリン
27.7.2    〃   ベーム指揮 ウィーン・フィル
私のCD・・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
交響曲第5番
次のように試聴済みにて記載済み、今回はコメント省略
26.8.7 試聴済み  マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団
26.8.11   〃    フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル
26.9.4    〃    小沢征爾指揮 ボストン交響楽団
26.10.23  〃    スクロヴァチェフスキー指揮 読売日本交響楽団
26.12.2   〃    フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィル
27.4.21   〃    スイートナー指揮 シュターツカペレ・ベルリン
27.5.21   〃    スクロヴァチェフスキー指揮 NHK交響楽団
27.6.16   〃    リスト編曲 Pf.グレン・グールド
27.7.14   〃   小沢征爾指揮 ボストン交響楽団
27.8.20   〃   バーンスタイン指揮 バイエルン放送管弦楽団
私のLP・・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル
   LP・・ジョセフォヴィッツ指揮 ハンブルグ交響楽団
   CD・・リスト編曲 Pf.グールド
交響曲第3番
過去数回試聴済み、今回はコメント省略
26.5.27 試聴済み フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィル
26.10.23   〃    スクロヴァチェフスキー指揮 読売日本交響楽団
26.10.18   〃    フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル
私のLP・・クリュイタンス指揮 ベルリン・フィル
レオノーレ序曲
歌劇「フィデリオ」の中の一つ。序曲は全く異なる内容の4種類が書かれている。唯一完成された歌劇「フィデリオ」は、最初の完成稿(1804/05年)から最終的な改訂稿(1814年)までに歌劇本体に3種類のヴァージョンが残されている。第1稿の歌劇は1805年フランス占領下のウィーン劇場で初演されたが不評をかった。この時の作品が「レオノーレ」序曲第2番作品72であった。そのため大幅に改訂、1806年に初演された第2稿に付けられていたのが「レオノーレ」序曲第3番作品72aであった。ところがこの改訂初演もベートーヴェンの自信にも拘らず大きな成功を収めることはできなかった。そのため再度の上演をめざし新たに序曲だけを書き直した。しかしこの計画は実現せず一度も日の目を見ることなく「ハ長調」の序曲が「レオノーレ」序曲第1番作品138として残っている。以上3曲はいずれも「レオノーレ」序曲と呼ばれているが、番号は成立順ではない。これに対して、初めて大成功を博した最終稿は、1814年になって宮廷オペラ台本作家の詩人トライチュケ全面改訂(1814年、第3稿)したもので、タイトルも「レオノーレあるいは夫婦の愛」から「フィデリオ」と改訂されたのである。1814年5月初演された第3幕に付けられた序曲が「フィデリオ」序曲作品72bで些かややこしい。
27.2.10 試聴済  イッセルシュテット指揮 ウィーン・フィル
27.6.25    〃   ベーム指揮 ウィーン・フィル
私のCD・・ベートーヴェン序曲集 カラヤン指揮 ベルリン・フィル 
  別 館
  作曲家年表
                 classic  salon (本館)  
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